佐藤クリニックロゴマーク

KEEP ON GOING(私の尊敬する日野原重明)

KEEP  ON  GOING
               一代の碩学 日野原重明先生 満105歳の生涯を閉じられる
 平成29年(2017年)7月19日
聖路加国際病院名誉院長  日野原重明先生が逝去された。
誕生は明治44年(1911年)である。満105歳で他界されました。
先生は、生涯現役の医師を続けられ、最期は病院ではなく自宅での療養を選ばれた。
医学者としても多くの優れた功績を残されているが、私が先生を偉大な医師として最も尊敬する処は、生涯現役の医師を続けられたことである。私達臨床医の、一般開業医の「鑑」であり、大きな目標であり続けた方である。私が開業して約30年(平成元年10月)、常に目標としてきた偉大な医療の世界の先輩である。「及びもつかない存在」ではあるが、「常なる目標」だった。まさに「巨星墜つ」である。
その、先生が亡くなられてもう2ヶ月です。

記憶の鮮明なうちのなにがしかの記録をまとめておきたいと思い立った。
       <<よど号ハイジャック事件>>
「日野原重明」の名前を一躍有名にしたのは昭和45年(1970年)3月31日、日本赤軍による「よど号ハイジャック事件」である。先生は乗客として遭遇された。同乗していた吉利和(ヨシトシヤワラ)(東京大学医学部教授、後の虎の門病院院長)と、乗客の健康診断をした。そして、犯人達との交渉に携わられた。事件に遭ったのを契機に自己の内科医としての名声を追求する生き方をやめたと後に述懐されている。
<<地下鉄サリン事件>>
そして、平成7年(1995年)3月20日、オウム真理教による地下鉄サリン事件である。当時先生は聖路加病院の院長でした。その時に救急医療活動は、目を見張るものがありました。循環器医師として既に有名な方でした。しかし、災害救急医療現場の指揮者としても素晴らしい知識と判断力を持っておられました。
 午前8時過ぎに営団地下鉄霞ヶ関駅に向かう日比谷線・丸ノ内線・千代田線の5本の満員状態の地下鉄の中で起こった。オウム真理教による「地下鉄サリン事件」である。
満員の地下鉄の中でサリンが撒かれた。
構内には激しい刺激臭が溢れ、周辺はパニック状態に陥った。
そして8時40分頃に、目の痛み、頭痛、吐き気、呼吸困難の症状を呈した最初の患者が聖路加国際病院に搬送された。その後も更なる重症患者が次々と・・・
日野原院長は直ちに
[全職員出勤命令]
[外来診療中止]
[病院内礼拝堂の病室転用]
[カルテ代用の首掛け厚紙]
等を、矢継ぎ早に指示したという。  
合計698人が受診し、110人が入院治療を受けた。
この時、日野原院長の適切な指示がなかったら被害はどこまで拡がったのだろうか。
阿鼻叫喚地獄とは真にこんな状態を指し示す表現なのだろうが、日野原院長の英断が、治療が被害を最小限に食い止めた。
註 1
  サリン事件の記載は
岐阜県医師会報 平成29年9月号 小林 博 会長の
「巨星墜つー生涯現役  日野原重明先生ご逝去--」からの抜粋です。

註  2
  死者は13名である。 後遺症に苦しむ被害者は数百人に上ると思います。詳しくは、村上春樹のインタビュー集 「アンダーグラウンド」を読んで下さい。

<<人間ドック>>

もう一つ書き残しておかなければいけないことがある。
人間ドックを昭和55年、聖路加国際病院で始められたことです。日本の国民病であり、死亡原因一位であった「結核」が、集団検診と治療法の進歩で死亡者が激減した。そしてその時点で予防医学に力を注がれたことである。成人病と呼称されていた「高血圧」「高脂血症」「糖尿病」等を「生活習慣病」と呼ぶことを提唱され、普及に努められた。今では「生活習慣病」という概念が一般的になった。
一代の碩学であり、それでありながら、学者であることよりお実践者であり続けられた。

<<日野原先生の思想・考え方>>
その1
「老化」と「老い」は違う
「老化」と「老い」というのは違うものではないかと考えています。生物として避けられない衰退現象、これは大自然の法則であります。「老化」というのは、生物学的な概念でありますが、「老い」というのは人間的概念です。これからの社会は、このことを大いにもっともっと注目しなければならない。
「死とは生き方の最期の挑戦」 
 晩年は良くそのことを語っておられました。
[死とは生き方の最後の挑戦]という言葉の中に日野原先生の生涯を通じての[生きることの意味、命の尊厳]を追求・実践し続ける使命感がその原点になっていると考えたい。
その哲学に基づく、 最期も実に見事でした。
「生きることの意味、命の尊厳」を追求・実践し続けた先生は、延命治療は拒否をされ、ご自宅で家族に看取られながら最期を迎えられた。
先生の生き様は、現在直面する医療の大きな問題である[終末期医療]の在り方に対する大きな提案だと考えている。  「生き様・死に様」について真摯に考える良い機会になりました。

その2
恕(ゆる)し合うことが世界平和につながると信じている。
 他人を「ゆるす」ということが「いじめ」をなくする。「ゆるす」ということは非常に大切だ。
  先生は、2人の偉人のエピソードを紹介しておられます。
 ノーベル平和賞を受賞したアルベルト・シュヴァイツァーは、アフリカのガボン共和国で40年間、マラリアや結核の患者さん、あるいはいろいろな流行病の患者さん、ハンセン病の患者さんの世話をしているわけでありますが、そのシュヴァイツァーはいろいろな良い言葉を残しています。
 人間に対する真実の愛、これはいのちを畏れ敬うということで、ともに苦しみ、ともに助けることである―。こういう風にシュヴァイツァーは言っています。
 もっとわかりやすく言うと、相手のことを自分のことにように考えるということです。このためには「恕(ゆる)す」ということが必要である。

 「恕(ゆる)す」とは「恕(じょ)」―。「恕」というのは、自分のことのように考え、自分を恕すように他人を恕すという意味です。これは、争いを避けるために唯一の方法で、私たちが恕し合うことで世界平和にもつながると私は考えています。

註 3
   人道の丘公園にもアルベルト・シュヴァイツァーの胸像が建てられています。ランバレーネの聖人として私達は小学校の道徳の授業で教えられました。彼個人というよりもキリスト教という宗教の偉大さを感じました。彼は又、世界的なオルガン奏者でした。
でも、最近その評価は「??」だそうです。なぜですか。

註  4
  八百津町ファミリーセンターの「大会議室」正面には渡辺栄一衆議院議員(故人)の  揮毫された「寛恕」という額が掲げてあります。
内容もさることながら文字も立派です。あの額の書をみる度に渡辺議員の大きなお腹とシャワガレ声、そして豪放磊落という形容がピッタリの振る舞いを懐かしく思い出します。

先生のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。
                                               平成29年9月29日 脱稿

追記

私自身は、日野原先生の講演を聴いたり、お話をしたことは一度もありません。

勿論、「よど号ハイジャック事件」の折には、吉利和東大教授は知っていましたが、日野原先生は存じ上げませんでした。何といってもあの事件のヒーローは「村山運輸事務次官」ですから・・・。

地下鉄サリン事件の時には御高名を聞き及んでおりました。生活習慣病という新しい概念を導入された聖路加の院長として知っていました。

その後、先生のことを少しずつ勉強し始め、医学者としてではなくて、臨床医として尊敬しておりました。

こんなエピソードもあります。

日野原重明さんは皇室の方々とも交流があった。皇居に招かれ、がん患者らとの接し方について、皇后さまから「どういう風にすればよろしいでしょうか」と尋ねられたことがあったという。日野原さんは「ベッドの上から見下ろすような態度はよくない。ひざをついて患者と同じ目線であいさつをしたほうがいいのでは」と伝えた。皇后さまは患者らに接する機会に、助言通りの対応をとられたそうです。

私達は天皇・皇后両陛下が災害被災者の慰問(雲煙普賢岳・阪神淡路大震災・東日本大震災など)に訪れられた折、体育館で膝を折り、いや膝をつき合わせてお話をされている姿をテレビジョンでよく見ます。日本国臣民としては誠に畏れ多いことだと思っておりました。その原点は日野原先生の助言なのかもしれません。きっとそうですね。(宮内庁も、政府の担当者も陛下の接し方を、ようとして認めなかったと聞きます)

私も診察室で椅子は小ぶりな、歯科用の椅子を使い、患者さんの目線で診察をしています。

絵本「葉っぱのフレディー」の物語りをミュージカルとして創作されたことも特筆すべき事ですね。冬が訪れ、葉っぱが死ぬ時がきます。死ぬとはどういうことなのか? ダニエルはフレディに、いのちについて説きます。「いつかは死ぬさ。でも”いのち”は永遠に生きているのだよ。」フレディは自分が生きてきた意味について考えます。「ねえダニエル。ぼくは生まれてきてよかったのだろうか。」

そして最後の葉っぱとなったフレディは、地面に降り、ねむりにつきます。

いい話ですね。

 

 

電話・FAX

TEL.0574-43-1200
FAX.0574-43-9050