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認知症介護の極意  私とその周辺・・平成30年08月25日更新

認知症介護の極意

私とその周辺

 

1 認知症を考える 

そんなものはありません。ありませんではなくて、知りません。そんな極意があったら是非に教えを請いたい心境です。表題は「羊頭を掲げて狗肉を売る」の類いです。或いは人寄せパンダです。

実質は、私の母親への介護の経験談と医療従事者としての経験を基にして考えたことを書き記したものに過ぎません。 私の母は、大正11年月8月生まれでした。生きていれば94歳です。今から5年前の平成24年1月に息を引き取りました。89歳でした。80歳を超えてから徐々に認知症が進行し始めました。それでも、父が亡くなった平成17年の頃は、時々、支離滅裂なことをいうことはあっても、身の回りのことは自分でしていました。薬の管理も出来ていました。急激な認知症の進行は、平成20年ぐらいからです。平成22年5月から特別養護老人ホーム「敬和園」に入所となり、お世話になりました。余談ですが、発症初期は「老人性痴呆症」でしたが、進行期は典型的な「認知症」になっていました。

註1

 痴呆症をいう呼称が「認知症」と変えましょうという提言が出されたのが2005年(平成17年)12月です。数年は混在していました。ですから初期の母は「痴呆症」であり、末期の母は「認知症」でした。

 施設入所をマイナスイメージで捉えたことはありません。患者さんにも、その家族にも前向きのイメージで、積極的な観点から勧めています。「忍びない」とか、「断腸の思い」と考えたことはありません。新しい人生が始まるぐらいの感覚で捉えています。

 1999年(平成11年)11月 日本でもアリセプトの発売が許可される。 認知症(その頃は老人性痴呆症)と認知症治療が、日本で積極的に薬物治療が始めたのはこの頃からである。その存在は汎く知られていたが、中心症状に対する治療薬がなく、周辺症状の異常興奮や徘徊に対して、向精神薬を使って症状を緩和させることと、不安や不眠に対して対処療法を処方するぐらいに限定されていた。「老人性痴呆症」はイヤだけれど、避けて通れない関門だ。この病気に取り憑かれたら諦める。根本的な治療法はない。症状を緩和する薬剤もない。私達医師も患者さんも「諦め状態」だった気がする。少なくとも私はそんな立場の開業医でした。その意味でもアリセプトの登場は画期的であった。老人性痴呆症に対する治療が本格的に開始された。進行を確実に遅らせることが出来た。

註2

 アメリカでは1997年に、発売が許可されており、日本はアリセプトの開発国でありながら世界で42番目に発売されました。レーガン元アメリカ大統領が老人性痴呆症を患い、その治療薬としてアリセプトを服用していた。そのお陰で人間としての尊厳を保つことが出来たという逸話が後に伝えられていた。死亡したのは2005年のことである。

 私の記憶を辿る時、痴呆症ということをテーマにした本格的な小説は有吉佐和子の「恍惚の人」が最初である。少なくとも私の意識下ではそうである。上梓されたのは1972年(昭和47年)である。あの時代に、老人性痴呆と言う病気とその周辺に着目した有吉佐和子の慧眼には驚嘆のほかはない。「恍惚の人」という言葉が、その存在がこれで一挙に市民権(?)を得た功績は大である。痴呆症の老人が物忘れをしたり、徘徊したり、入浴中に溺死寸前になったり・・かなりショッキングな光景が繰り広げられる。

註3

有吉佐和子は小説家としても有名だったが、日曜日の夜NHKで放映されていた「私だけが知っている」に出演していた。探偵長の徳川夢声と一緒に殺人事件を推理していく番組だった

後は思いつつまま・・・

それから14年後(昭和61年)NHKの大河小説で「いのち」が放映される。ここでも、主人公「未希」(三田佳子)の嫁ぎ先の義母(姑 菅井きん)が、痴呆症を発症する。夜間徘徊で家を飛び出してしまう。未希はその看護に疲れ果ててしまう。やむなく自分の腕と姑の腕を紐で縛りあって側で寝ることにする。が、ほんの僅かな隙を突いて紐をほどき徘徊して行方不明になる。毎週、日曜日の夜に痴呆症の老女とそれを必死で介護する嫁の壮絶な姿を見た。「えっ! あんなふうに変わってしまうの!」「信じられない」 多くの人が始めの経験だったと思う。

 

註 4

私の第2の故郷、弘前が、津軽が舞台だったので毎回観ました。このドラマの主題は認知症の介護ではありません。ですが、姑の人格の崩壊して行く様は息を呑んで観ていました。

平成30年8月24日

  このドラマで、意地悪な姑と進行性の重症の痴呆を見事に演じた菅井きんが亡くなる。(92歳)
わき役 ふけ役 いびり役として知られていた。
わき役は一瞬の爆発が勝負だと語っていた。
人情味のある庶民
秘めたる優しさを感じさせる「母」
 日本の母親像と同時に、わき役の良さ、生きがいを伝えた

大河ドラマ「いのち」で共演した三田佳子の談話
さすがの老け役で姑、母、老女と変幻自在に人間味のあるお芝居を見せてくださいました。

 2005年(平成17年)渡辺謙と樋口可南子の共演で「明日の記録」が上映された。若年性アルツハイマー病と診断された50歳代のエリートサラリーマが主人公です。彼と家族が、病気と闘う姿を描いた映画です。記憶力が、見当識が壁からタイルが剥がれるが如くに崩れていく。記憶が曖昧になっていく。最初はその変化に恐れおののいているが、そのうち自分の妻も分からなくなる。記憶が全く失われてしまう。メモを読んでも理解出来ない。観ていると同時体験に近い感情移入をしている自分に気がつく。渡辺謙が自分の近未来という感じである。もし自分が、家族がと思うと真に迫り来る恐怖である。認知症は映画の世界や、治療している認知症患者さんの世界ではない。目前の自分の喫緊の課題である。そう認識した映画です。

註 5

 この原稿の最後にこの映画の鑑賞した時の思いを添付しました。その時はこんな事を感じていました。

 2014年には「ペコロスの母に会いに行く」が上映された。赤木春恵主演である。 この映画は認知症を扱った作品で、初めて認知症をポジティブにとらえた映画だと批評が書いていました。同感です。私もそ2014年には「ペコロスう思います。楽しく生きる。もちろん、それは大変だからです。この映画を、漫画を、母・美喜の介護が始まる前に見ていたら、読んでいたらと強く思いました。もう少し気楽に、楽しく接してやれたのではないだろうか。そんな思いを抱きました。赤木春江もかわいいおばあちゃん・ハツエを演じています。でも、ちょっと元気過ぎる。認知症の介護の問題と取り組んだ映画ではないですね。敢えて言えば、林芙美子の『女の一生』みたいな物語りです。その内容をボケる前の本人が書いたのが『女の一生』であり、ボケた後、ハゲの息子が書いたのが『ペコロスの母にあいにいく』なのだ(ボケとハゲ)。「会いにいく」とは、亡くなったご主人、妹、友達を含めて多くの人がミツエの記憶の徘徊の中にに登場することをいっているのだね。裕一にいいます。「  ボケることも悪いことばかりじゃないかもしれない」そんな裕一の思いから見た母ミツエの人生です。「いきとらならんばい」と頑張ってきた人生を振り返る。お化粧が濃過ぎるという意見もありますが、化粧は女性の認知症介護のうえでとっても大切なことです。今回の主題の一つです。マニキュアをして貰って上機嫌な場面もあります。

2.童謡を、小学校唱歌を歌いましょう

何処の介護施設でも利用者さんと一緒に歌う時間を設けています。音楽療法は最もポピュラーな治療法の一つです。とても大切な楽しい一時ですね。私が提案したいのはその歌う歌は、子供の頃歌っていた、口ずさんでいた小学校唱歌、童謡、そして軍歌を選んで欲しいということです。認知症の人は古いことは、昔のことはよく覚えていると言われるが、それは大きな誤解です。近時過去の記憶より鮮明だということだけです。大半の記憶は記憶の引き出しにしまい込まれたまま、扉が開かない。 そんな状態の利用者さん達に共通の記憶の宝の一つが子供時代人に習い覚え、口ずさんでいた歌です。懐かしい歌詞を眼で読み、口で歌い、耳で聞く。五感を使って脳を刺激します。感性を高めますから記憶の扉が開くようになります。記憶の糸を掘り起こすことが出来る。

もう一つ、大きな特徴と考えるは、共通の記憶ですから、個人の差が出ないということです。翻って、新しいことを覚えることは困難です。そして個人差が大きく脱落する人が多い。時々テレビ、ラジオの報道を聴いたり、観たりしていると施設でクラッシックの歌曲を指導して脳の活性化を図って、大きな成果を上げているという報道があります。これは、利用者のレベルが揃っていれば可能ですし、効果はあると思います。しかし、一般的には不適当な選択だと思います。誰もが参加出来るような曲を選ぶべきです。

        <<家庭内介護をしている家族の方に>>

 音楽を聴かせ、歌を歌わせるということはとても大切なことであり、効果を期待することも出来ます。是非、家庭でも積極的にやって欲しい。家で、テレビを観ているよりも一緒に歌を聴きましょう。歌いましょう。何故なら、残念ながら高齢者にテレビの内容は理解出来ないからです。画面を追っているだけです。それよりも頭脳の働きを活発化させる音楽と取り組みましょう。最初は嫌がっていても必ず、口ずさむようになります。そして声が出るようになり、笑顔が出てきます。 私の母は、口数が少なく、無表情になり、いわゆるアパシーと言われる状態に陥ってからも私と一緒に童謡を歌う時は、歌詞の一部を言葉にすることが出来ることがありました。顔にも表情が戻って来る時がありました。お互いに無性に嬉しかった。

 註6

 私も、いつの日にか施設に入所する時が来る。その時の準備として、沢山の歌を歌えるようになっておきたいと思っている。中田喜直、中村八代、永六輔、あたりの歌は記憶の引き出しに入れておきたいです。なかにし礼も好きですが、ちょっと難しいかなぁ。軍歌を歌うと時代錯誤ですね。大学山岳部時代に覚えた「山の歌」もしまい込んでおきたいです。井上陽水は難しいかな(??)です。

今お気に入りの歌手はAKB48ですが、趣味にとどめておきます。

 註 7

音楽療法などというと堅苦しくなってしまいます。

「鼻唄」あるいは「のど自慢」「童謡教室」ぐらいの感覚でやればお互いに気楽に参加出来ますね。回数も多く開くことが出来ます。

ICレコーダーの活用

そしてICレコーダーで録音しましょう。みんなで聴きましょう。

簡単に録音できます。そして結構高音質です。私が現在使っているのはオリンパス製です。非常に重宝しています。返す返すも残念なことは、このレコーダーを使って、親父の声を録音する機会を持たなかったことです。親父が亡くなって写真の整理をしている時に声の記録がないことに気がつきましたが、遅きに失しました。そんな反省もあり、お袋の介護の時にはいつも音を、会話を、歌を記録として残すことに注意を払っていました。

その甲斐あって、孫の結婚式のスピーチを残すことも出来ました。自分の人生を語らせることもさせました。大部病状が進行していたので十分ではありませんが、取り敢えず、母親の声を残せました。

 最初は拒否反応を示します。嫌がります。根気よく、強制的にならないように試行しましょう。そんな共同作業が実を結びます。・・極意のほんの一部かもしれません。

3. 化粧ということ

 「ペコロスの母に合いにいく」の映画の処で主演の赤木春恵が厚化粧をしているということを書きました。認知症になっても女性にとって、化粧をするということはとても大切なことです。

その1  鏡の効用(59億9999万9999人はアナタの顔を見て生活をする)

それ以前に鏡に向かって自分の顔を見る。映っているのが自分であることを確認する。確認させる。これが一番大切です。鏡の自分に向かって「お早う」と呼びかけさせましょう。そして「だーれ」と聞く。どんな返事が返ってくるでしょうか!

私も洗面所の大きな鏡の前に立つと、面はゆいという感じとさあ頑張るぞと鏡の中の自分に呼びかける自分を意識します。「ハンサム」でも「美男子」でもなく、頭の大きい「ぶおとこ」の分類ですが、私以外の人は、私の顔を見て生活をしている。家族しかり。職員しかり。患者さんしかりである。自分の顔に責任を持たなければいけません。相手を不愉快にしてはいけません。1日1回、自分の顔を自分を意識することは認知症の患者さんのみならず、大切なことですよ。私は(筆者)は決して「ナルシスト」ではありません。誤解無きように念を押しておきます。

註 8

進行すると鏡に映った顔が自分だと言うことが分からなくなってきます。驚きですね。「鏡に映っているのは誰?」と聞いても、馘をかしげています。「お母ちゃんでしょう。」「美喜ちゃんでしょう!」と力説しても分からなかった。

その2 スキンシップの効用 

 次は、スキン・シップです。リバスチグミンという毎日貼り替えるパッチ形式の認知症治療薬があります。私はこの貼付薬を気にいっています。この薬剤のセールス・ポイントの一つがスキンシップです。化粧を施すことはよりベターなスキンシップ療法です。当然面と向きあいます。目と目を合わせて会話が始まります。お互いにちょっとときめきですよね。クローズ・アップされてきますよね。クローズ・アップということはお互いの感情が近づいてきたことを示しています。

その3 何を意味する化粧

 ここからの記述は私の勝手な想像論です。間違っていたら謝ります。ご免なさい。

女性の興味は「己の美しさ」にあると思います。女性は、子供の頃から自分を綺麗に、美しく着飾ることに慣れている。慣れているという表現よりも興味を持つように育てられる。どんなじゃじゃ馬娘でもお転婆娘でもいつの間にか綺麗な娘さんに変化していく。それは髪の毛を結い、服装を整える。身近な女性の見繕いを観ながら、自分で経験して変化していくのだろう。

そして、その変化に気がついてくれる事にとても敏感である。褒め言葉であればそれはベストであり、指摘して貰うだけでも嬉しくなる。多分そうだろうと推察している。これが我々高齢男子だとそんなことを言われると薄気味悪くなってしまう。身構えてしまう。女性は本能的なのか、教育効果なのかお互いの美貌を、美しくなる為の変化を褒め合うのがお気に入りである。もう一度断っておきますが、女性を非難しているのではないです。感心している。

 その4 話を介護に戻します。

認知症の女性はそんな気持ちを封殺させられている。(お化粧を止める。お化粧という行為を忘れてしまう。するとそのことを誰も問わない。)錆び付いている扉を少し開けたら、症状が緩和出来るのではないでしょうか。女性として最も基本的な感情を少し刺激してみると、何かいい効果が期待できそうだ。そう思っています。

註 9

私は母に化粧をしてやることは出来ませんでした。化粧をしたら何か反応があるのではないかという期待もありましたが、取り組めませんでした。女性の化粧ということに全く経験がありませんでした。知識もありませんでした。あと一歩を踏み出せませんでした。敬和園に入所した後はお願いする勇気を持てませんでした。姉が見舞いに来た時に、やって貰ったことが1.2度ありました。それだけです。医師として、息子として情けない限りです。

その5  基本的化粧の三種の神器

この拙文を読まれて「そうか 認知症に化粧か!」と思い立たれる男性の方があるかもしれませんね。しかし、数年前の私と同じ立場・考え方だと思います。

以下に女性の基礎化粧 三種の神器を書いておきます。是非参考にして下さい

参考にして貴方のお母さん(認知症ならば・・)に施してあげて下さい。

アイブロー(眉ずみ)・・・眉毛の薄くなっている女性

チーク  (頬紅) ・・・『紅をさす』とは頬紅や口紅のことですね。

リップ  (口紅) ・・・はみ出さないように、薄くを基本にする

ファンデーション・・・・化粧の基礎になる下地クリームをいう。

            コールドクリームに白粉 (おしろい) の成分を練り込んだもの

コンシーラ(シミ隠し)・・・小池東京都知事もご愛用ですよね。確認はしていません。

 

その6 最後の最後に

癌末期の女性にも化粧を勧めます。時々、母が、妻が癌の末期で辛そうです。何か「気分転換」或いは「リラックス」させる手段、笑顔が戻る事はないでしょうかと相談されます。

医療的な治療は私の出番ではありません。私は「話しかけながら化粧をしてあげて下さい」と説明をします。「スキンシップ効果」「クローズ・アップ効果」そして「さっきまでとは違う自分の発見の喜び効果」が十分に期待できます。

大切なのは「死化粧」ではなくて「生きている人への化粧」です。

註 10

そんなことを気にして新聞や週刊誌を読んでいると色々な記事が目に留まります。

化粧をするのは男のたしなみ  サンデー毎日  北村森

以前尋ねた百貨店の化粧品店では断られた。今度が2回目だそうです。訪れたのはGINZA SIX」の「 資生堂」だ。30分掛けて丁寧に説明と実技を教えて貰った。

最初にクリームを塗り、日焼け止めをその上に、そして最後にコンシーラ(シミ隠し)を筆で伸ばして塗る。すこぶる自然な感じで少なくともマイナス5歳ほどの効果は感じられました。アドバイスにそって自らの手でやっています。男の大人の“ちょい化け”は良い遊びだと思いました。

                   平成29年 6月13日  脱稿

 

付録・蛇足

         「明日の記憶」を観る

 

渡辺謙と樋口可南子の共演です。 子供には吹石一恵です。 音楽は大島ミチル

主人公佐伯雅行は宣伝広告会社のバリバリの部長である。今日も「GIGA  FORCE」のCMの契約が成立して大はしゃぎだ。が、相手の課長の名前が出てこない。俳優の名前が出てこない。ローランド・ブルーを知らない。それを誤魔化す。車のキーがない。渋谷のインターで出られない。GIGA FORCE の打合会をすっぽかす。変更したことをすっかり忘れていた。社員食堂で自分の部下が分からなくなる。同じ商品を次々に買いこんでくる。

病院で、精神科を紹介され、長谷川式を受ける。桜・猫・電車をオウム返しは出来たが、短期記憶は出来ない。

5の文房具・名刺・?????

引き算は完璧・・野菜の名前はダメでした。

諸検査の結果若年性のアルツハイマーと診断される。

受け入れがたいこと・恐怖・不安・から怒り出す。怒りを爆発させる。

が、受容しようと決める。会社の勤務は続ける。

訪問先の会社に、行き着けない。会社のある渋谷で自分が行方不明になってしまう。渋谷で大騒ぎを起こす。

備忘録を残し始める。・・・自分が無くなってしまうのであれば、何かを書き残したい。上司から辞職を勧められる。それを拒否して配属先は資料管理課に左遷される。幻聴・妄想が出始める。彼をさいなみ始める。

一人娘のできちゃった婚の最後の挨拶を頼まれる。・・・。結婚式は友人婚形式だ。が、その肝心の原稿を無くしてしまう。

無いままだがどうにか親族の父親の挨拶を済ませた。

10/29日(金曜日)  誕生日  退社の日に7人の部下に送られる。メッセージ付きの写真を一人一人から貰う。感激の場面ですよね。

11/18日   孫誕生    「芽吹」と書いた紙を渡す。   

妻、枝実子は陶芸のお店で働き始める。・・・・信頼されるようになる。

2年後には、歯磨きも分からなくなる。・・・家中張り紙だらけ!!

こぼれ落ちる記憶を必死に繋ぎ 止めようとあらゆる事柄をメモに取り、闘い始める佐伯の姿である。孫育て、陶芸・掃除・などを備忘録でどうにか自分のバランスを取っているのだが・・・。

お互いに疲れ果てている。そんな時、「あすなろナーシング園」を紹介される。

一人ぼっち、孤独感からの感情崩壊・怒り・泣き・疲れ切る。

そんな時、信頼している焼き物教室の講師から二重請求をされる。既に出金簿に記載されていたのだ。精神的に大きなダメージを受ける。その夜、遅く帰っていた妻に当たり散らし暴力を振るう。妻の額に怪我をさせてしまう。

自分で、あすなろ苑を自分で下見に行く。

そして妻からの電話・・・吊り橋。結婚前の枝実子に誘われてやってきた思い出深い窯までやってくる。かっての師匠と湯飲みを焼く。焚き火のそばで一晩をあかし、迎えに来た妻に遭遇するが、誰だか分からない。ついに妻のことも忘れてしまったのだ。

妻は泣きながら「駅まで一緒に」という佐伯の後ろについて、ゆっくり歩き始める。

深い山と吊り橋の場面で終わり・・・。

                                            2008/02/26        佐藤孝充

 

渡辺謙の演ずる主人公と私(筆者)の近未来が重なってしまう。長谷川式の簡易テスト、分からなくなってしまった会社への道順・・・一挙手一投足を食い入るように見ていました。 恐ろしさに身震いした。主演男優賞は当然ですね。演技派の渡辺謙があそこまでのめり込んで演技をすると鬼気迫るものがある。

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