「医療的ケアー児の母として」の講演会雑感(2018年01月16日 追加)
「医療的ケアー児の母として」の講演会雑感
その1
講演会のパンフレットと抄録
〔筆者の書き付けメモを基に帰宅後調べながら少し書き加えました〕
肖像権の問題もある?かなと思って写真は控えました。
野田聖子議員は似顔絵よりずっと美しい
今の流行語で言えば「べっぴんさん」です
将来の日本を背負って立つ
志の篤い国会議員だと感じました
平成4年衆議院に初当選。連続8回 同期議員に安倍首相・岸田外務大臣・塩崎厚労大臣。
現在57歳 ママになって6年。息子「まさき君」は現在6歳(2011年1月生まれ」
息子まさきくんはファロー4徴、肺動脈閉塞。食道閉鎖。臍帯ヘルニア。咽頭?? 気管軟骨??〔註 ??は聞き取れませんでした。〕
医療的ケアー児(昨年自立支援法で誕生した全く新しい概念 画期的なこと)
医療的ケアー児とは新しい概念です。昨年認められたばかりです。
医療の進歩によって助かった、生きることが出来るようになった子供。
但し、体にクダが2-3本体についている。
気管切開のカニューレ。胃瘻のテューブがついているが、終末期医療の延命ではない。死を前提とした医療ではない。根本的に違う。胃瘻に対する私見を力説されました・・・本来は短期的な目的の治療だったはずだ。日本だけが年余にわたってやっている。・・〔註 筆者は医師として大いに反論あり。〕
超高齢で(その発言はなかった)妊娠をして17週のエコー検査の後、産科の先生に言われました。「野田さんどうされますか。」と。優生保護法、今は母体保護法では障害があるからという理由の中絶は禁止しています。経済的理由、母胎に悪影響があるときだけです。翌週、「産みます」と1人で判断して答えました。夫はびっくりして椅子から滑り落ちました。
2011年1月16日 私は極めて元気でしたが、帝王切開で出産。出生時体重は2500グラム。その時「看取り産」ということを産科の先生に言われました。出産と同時に母体の、胎盤の世界の保護がなくなります。私達が生きているこの同じ環境の世界に生きて出産できるかは5:5だと言われました。
局所麻酔で出産しましたから意識ははっきりしていました。〔註 聖子先生は局所麻酔だと言われましたが、硬膜外だったと思います。〕
オギャーオギャーと泣かないのです。看取り産とはこのことを言われたのだと悟りました。が、その後猫の鳴き声かと思われる産声が聞こえました。
ニャーゴ・??こうして「マサキ」は産まれました。
2歳3ヶ月までに12回の手術を東大病院で受けました。
神様の造作だと思っていました。一つずつ、一つずつ修正しました。
ファローの4徴にはゴアーテックスを貼りました。肺動脈欠損には人工血管を繋ぎました。
NICUで十分に管理されていたはずですが、泣きわめいた時に気管が破れ、心肺停止状態になってしまった。ところが、東大病院にある小児用補助心臓を使えなかった。医療保険の適応がなかった。やむなく大人用を使った為に脳梗塞を併発してしまいました。右半身の麻痺が残った。
小児用の治療器具があるのに使えない。移植を前提としての使用のみが保険適応だったため、まさきには使って貰えなかった。「・・そんな馬鹿な!」義憤感じて厚生労働省と、官僚と交渉を始めた。その頃の岐阜の女の子のエピソードを話された。厚生省が使用を認めた前日に脳梗塞で死亡した。大変なショックでした。
まさきくんは 2歳3ヶ月の時7kg だったが、6歳の現在115センチ、20キロと育っています。医療用の経管栄養剤だけではなくて、毎日私達が食べているものをミキサーで粉砕、冷凍して保存し、解凍して食べさせている。すくすくと成長しています。ご主人は板前さん。食の大切さを感じた。
呼吸も補助がいるし、食事は胃瘻からだが、保育園にも学校も行かせたい。が、行かせる術がなかった。全てお断りだった。
動くことは出来る・・走り回れる。が障がい児だ。
そんなおかしな概念を取り払う。
それが「医療的ケア児」である。漸く去年認められた。障がい者総合支援法が成立・・・画期的なことである。
医療的ケア児のほとんどは、保育園でも幼稚園でも預かってもらえません。
医療的ケア児たちは、マンツーマンの支援が必要な、重度の障がい児です。しかし、重症心身障がい児(重心児)という、知的にも身体的にも重い障害とは、見なされなかったのです。
まだまだこの国には「優性意識」が高い。
正常者>>>障害者という優性意識が強い。劣者は淘汰されてしかるべきだという偏見がある。
障がい者には
身体障がい
知的障がい
精神障がい
発達障がい
そして、 医療的ケアー児
と分類される。
註
重症心身障がい(大島分類の1から4に該当)
重度の知的障害および重度の肢体不自由が重複している状態を指す
年間30万人の人口の減少が始まっている。4年目です。
太平洋戦争で320万人の日本人がなくなりました。あと少しで同じ数の減少になります。出生数はどんどん減っていますが、医療的ケアー児は増えつつある。
講演会の最後はこんな言葉で締めくくられました。
世の中に「不幸なことはない」
全ての人に受け入れられる国にしていかなくてはいけない。
平成29年3月18日
その2
反省と自戒を含めた雑感
一部誤りがあるかもしれませんが上記のような講演をされました。
私は「医療的ケアー児」という言葉を始めて知りました。しおなみ苑という知的障がい者福祉施設の配置医を務めていながら障がい者の新しい概念を知らなかった自分の不勉強を恥じました。
まさきくんのことを語る時、議員というより母の顔をして熱く語られた。母親ならではの深い愛情を端々に強く感じました。そして、障がい者医療、福祉政策についての内容はまさきくんを育てる為に培ったエネルギーを、知識をフル稼動させて熱弁となった。一番大切な家族が背負わされた難儀を真正面に受け止めて母として、国会議員として闘い続けてきたのですね。その強い姿に共感を覚えた。外交や防衛は、大切だと分かっていても、どうも実感がない。
それだけに話に共感した。野田議員の熱のこもった講演には深く感銘しました。
野田議員の話を聞いて「まさき君」が学校に行けることは素晴らしいことだ。本当に良かったと本心から思えるようになりました。しかし、それ以前はそこまで障がいがある子供達を保育園に、学校に通わせることが本当に必要なのか、疑問にも思っていました。費用対効果という概念を持ちだしてはいけないことは分かっていますが、そんな考えも頭の隅にありました。どうされますかと尋ねられた時「産みます」と自分一人で返事をしました。と語られました。明るく堂々と微塵の躊躇いもなく決めたと話されるその姿は凜々しかった。本当に重い決断だったですね。
その議員の思いが官僚を動かし、新しい概念を創出したのだ。医療について、福祉について真剣に向き合って活動しておられるのだ。
その3
人口減少問題について
少子高齢化 人口減少 に対する危機感も少し話されました。そのことに対する危機感は同感です。同感ですが、残念に思うことは「出産」と言うことに対するアピールがなかった。「子供を産むように、産みましょう」と呼びかけましょうという訴えがなかった。
堺屋太一が週刊朝日に書いていました。
女性に「母性愛がなくなってきているんじゃないか」
24歳以下で子供を産む女性 アメリカは1000人中112人いるのだが、日本では35.7人です。 若い女性に産んで貰いたいし、そんな環境を作らなければいけない。
現実問題、若い人が子供を産まないというのは大変な社会的損失。
そんなことを言うと総スカンを食うという世の中の空気は分かるつもりですが、国をリードする立場の政治家として、反発を恐れないで発言して欲しい。
この人口減少・少子高齢化については私は佐藤クリニックのホームページにも思いを書きました。
宜しければ目を通して下さい。(八百津町 佐藤クリニック で検索可能)
お知らせ一覧の中から「超高齢社会とその勇者センテナリアン」の項目を観て下さい。
平成29年3月20日 脱稿
追加
週刊朝日の2018年01月19日号で林真理子との対談が掲載されていました。
9月の総裁選に立候補されますかと質問されて
大切なことは総裁になることじゃなくて、ずっと戦い続けることだ・・・
少子化、ふるさと納税問題を話題にされて・・・
北海道の上土幌町の試みを紹介されました。 ふるさと納税で大成功した。 少子化対策に集中的に使い「子育て少子化対策夢基金]を創設した。町の認定こども園に来る子供は全員無償。子供を預けて働く→余裕が出来るから又産む。近隣からも移住する人が増えて、人口がどんどん増えていって、奇跡のV字回復をした。
これって、本当の少子化対策ですか。・・・筆者の感想(隔靴掻痒的な行動に近いと言ったら失礼ですか)
3人目を産んだらクーポンでお祝い金、助成金を出す自治体はあるが、額は少ないということも話されていました。
信念の女性(ヒト)ですね。 強くて可愛くて情に脆い。義理堅い。そして誰にもエバラズ親切
林真理子はこんなふうに対談後の感想を書いていました。
野田総理誕生は日本が大変貌できる大きなチャンスだと想います。
平成30年01月16日 追加