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ノーベル賞物語り その1 2019年 吉野彰 化学賞受賞

吉野彰 2019年ノーベル化学賞(リチウムイオン電池)に輝く

 

今年(2019年)のノーベル化学賞は「リチウム2次電池」に対して与えられた。

このリチウム電池の開発に日本人の研究者は深く関わってきた。

毎年、ノーベル賞の発表前になると関係者の周辺は騒がしくなっていた。

今年は、念願叶ってリチウム乾電池の開発に対してノーベル化学賞が授与された。

私は全くの門外漢であり、何も知らない。知らないが、新聞を読み、テレビジョンを観ていると素晴らしい発見であり、開発である事を再認識した。日本人の素晴らしい研究業績であり、科学に少なからず興味を持つものとして最低限の知識は持っていたいものだと思い始めた。この電池を使った再生エネルギーのより一層の利用・発展、そして脱炭素社会への脱皮は絶対に必要なことだと思っていたので、色々苦労しながら筆を執ることにした。

約1っヶ月半振りの投稿である。

リチウム

アルカリ金属元素の一。単体は銀白色で軟らかく、金属中最も軽く、比重0.534。水とは反応し水素を発生。命名は石の意のギリシャ語lithosにちなむ。元素番号Li 原子番号 3  「すい・へ・り・べ・ぼくのおふね・なもある・・・・」 の「り」である。

リチウム電池におけるリチウム需要の急増によって、企業はリチウム需要を満たすために塩水抽出によるリチウム生産能力の増強に努めている[44][45]。 天然のリチウムは中南米の限られた地域に埋蔵されている。ボリビアのウユニ塩湖には、全世界の半分が集まっている。チリにもある。

令和元年10月09日 

吉野彰 (旭化成 名誉 フェロー )

ストックホルムのノーベル賞選考委員会から2019年のノーベル化学賞の受賞者に指名と発表がある。昨年は京都大学の本庶祐先生がノーベル医学生理学賞を受賞した。2年連続の栄誉である。今年こそ「リチウム電池」が受賞すると日本中が期待していた。そして本当になった。

 日本のノーベル賞の受賞に関していえば最近、つまり2000年以降の受賞者はアメリカに次いで多い。2014年、2015年、2016年と連続3年選ばれてきた。残念ながら2017年は該当者がいなかった。そして昨年2018年、今年2019年と続いた。研究者の端くれ(?)を自認するタカさんは大喜びです。何と言っても世界で一番評価の高いアワードである。日本人の頭脳の明晰さと性格的な勤勉さが花開いています。

さて、今年の化学賞は旭化成の研究所に勤務する、「リチウム電池」の炭素を用いた陰極の開発をした吉野彰氏が受賞した。リチウム電池の開発者が化学賞を貰うことは分かっていた。いつ貰うかに関心はあった。ノート・パソコン、スマート・フォン、デジタルカメラ、PHV等、現代のイノベーション、IT革命の旗手である。旗手ではないが、支えている根本は小型で再生可能で蓄電量の多いリチウム電池である。リチウム電池の登場は「電源コード」からの開放と表現すると理解し易いだろうか。

  リチウム電池開発の歴史

この山道をたどってみましょう。最初にリチウムを電極に使って二次電池を作り、登山口を見つけたのがウィッティンガムさん(77)1970年代のことです。リチウムを酸化化合物にすると電圧を高くできることを発見し、正極に使ったのがグッドイナフさん(97)です。1980年のことです。ただ、正極が優秀でも、負極に何を使うかが問題だった。その難問に、適切な負極を選んで実用可能にしたのが、吉野彰さんでした。このグッドナイフ教授達の成果に注目した吉野彰さんが5年後の昭和60年、プラスの電極に水島さんが発見した「コバルト酸リチウム」を、マイナスの電極に自分の開発した特殊な炭素を使い、初めて実用的なリチウムイオン電池の開発に成功しました。これにより、軽い上に激しい発熱を抑えて安全性が高く、何度でも使うことができる今のリチウムイオン電池の実用化が大きく前進したのです。

科学史としては「リチウム山脈」の三つのピークを選ぶと、この3人になるのは妥当だと思います。

3人の受賞者以外に知っておいて欲しい2人の日本人研究者

水島公一

グッドイナフさん(オックスフォード大学教授)とともに研究に取り組んだ水島公一さん(78)です。1980年に「コバルト酸リチウム」をプラスの電極に使うと、電圧が高いだけでなく寿命が長い電池になると発表しました。水島さんはその最初の論文の筆頭著者です。筆頭筆者ということは、その研究の指導者・担い手という事である。当然、ノーベル賞の呼び声は高かかったが、ノーベル賞には選ばれませんでした。何故だろうね。?ふと疑問に思いました。その渦中の水島さんは受賞者の発表直後に「実用化は様々な研究成果の積み上げがあり、一部にかかわることができ、共同研究者の一人として大変光栄に思います」とコメントしていた。悔しかっただろうね。現在東芝のエグゼクティブフェローであり、今回のリチウム電池開発のノーベル賞受賞で出身の東京大学から「総長特別表彰」を授与された。初めてのことだそうです。

ソニーが売り出した最初のリチウム電池

もう1人

西美緒

リチウム電池を最初に実用化して商品化したソニーの研究者です。

リチウム電池を商品化して売り出したのは、吉野さんの所属する旭化成でも水島さんの所属する東芝でもありません。それはソニーです。世界中の研究所が、企業が実用化を競っていました。誰が、何処が発表しても可笑しくない状況でしたが、最初に実用化したのはソニー、その中心的人物は西美緒氏です

水島公一氏は研究者として渡英し、オックスフォード大学のグッドイナフ教授と共にリチウムイオン二次電池の酸化正極材を開発しました。

吉野彰氏は旭化成で炭素をつかった負極材も開発し、現在のリチウムイオン二次電池の原型となる基本構造も考案して現在の技術の基礎をつくりました。

ですが、世界に先駆けてリチウムイオン二次電池を商品化したのは、西美緒氏が在籍したソニーだったのです。1990年(平成2年)のことです。

 

周囲も当事者も「予想外」だった大躍進

 独自に研究開発を続けていたソニーが開発したLiBは、 1991年に京セラの携帯電話に搭載されて、世界で初めて商品化されました。その後、ソニーのLiBは自社のビデオカメラに搭載され、やがて当時出たばかりのノートパソコン市場の追い風に乗って急激にシェアを拡大。LiBとしては初めて事業化に成功した会社となりました。

 

註 

二次電池とは、繰り返し充電して使える電池のこと。他の二次電池は、最後まで使い切ってから再充電しないと、次から電圧が下がってしまう『メモリー効果』の問題がありますが、リチウム電池ではその影響はほぼありません」

 

出火などの数々のトラブルがありながらも、 リチウムイオン電池は「夢の電池」から「無くてはならない電池」に変貌を遂げていったのです。

 

日本人3名同時受賞が夢

水島氏、吉野氏と共にリチウムイオン電池製品化に向けて功績のあった西美緒氏の3名の日本人は、グッドイナフ氏とともに、ノーベル化学賞の有力な候補者とされていました。

夢物語ではなくて2014年青色LED電極の研究では日本人3人赤崎・名城大学教授・天野名大教授そしてUCサンタバーバラの中村教授)がノーベル物理学賞を同時に受賞しました。

 

令和元年12月8日

ノーベル賞記念講演 持続可能社会の中心技術に

 環境や経済、便利な生活のバランスがとれた将来の持続可能な社会づくりに「リチウムイオン電池が中心的な役割を果たす」と講演した。

  生い立ちに触れ、小学校のころに英国の科学者ファラデーの著書「ロウソクの科学」を読み、化学に興味を持ったことを紹介した。リチウムイオン電池は、太陽光などの再生可能エネルギーをためることで、化石燃料の使用を減らして地球環境問題の解決に役立つと期待されている。「イノベーション(技術革新)は、持続可能な社会の達成につながる。リチウムイオン電池がその中心的な役割を担うだろう。これが私の世界へのメッセージだ

 

 タカさんもファラディーの「ロウソクの科学」は楽しく読みました。小学校の高学年では「科学クラブ」に在籍していたが、野球や、魚釣りなどの川遊び、陣取り合戦の誘惑には勝てなかった。

 

令和元年12月10日

ノーベル賞授与式に参列 ノーベル賞を授与される

ストックホルムに雪は有りません。それほど寒くもなさそうですね。この季節ストックホルムは一日中夜(極夜)かと思いましたが10時過ぎの映像は陽が射していました。

日本人のノーベル化学賞の受賞歴

 

1981年  福井謙一

 2000年  白川 英樹

 2001年  野依良治

 2002年  田中耕一

 2008年  下村脩

 2010年  鈴木章  根岸英一

 2019年  吉野彰

 

1949年(昭和24年) 湯川秀樹の物理学賞以来、27人目のノーベル賞受賞者である。化学賞は、1981年の福井謙一から数えて8人目である。(物理学賞受賞者は9名で一番多い) 

                              令和元年 12月18日  脱稿

少し、ノーベル賞のことを調べてみたいと思っている。

 

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