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交通事故(池袋・大津・福岡)・無差別殺傷(登戸)・息子殺害(8050問題)

 

 

元農林政務次官、長男を殺害

6月1日

1日午後3時半ごろ、元農林水産事務次官の熊沢英昭容疑者(76)が東京・練馬区の自宅で長男(熊沢英一郎(44))を殺害。自宅で長男の胸などを包丁で複数回刺したとして、殺人未遂容疑で現行犯逮捕された。一家はこの2人と熊沢容疑者の妻の3人暮らし。

一介の市井の人ではない。日本の中枢で指導者として国を動かしてきた経歴を持つ人が、自分の息子を刺し殺すとは,驚きだった。

そこに「一体全体何があったのだ。どんな事情があったのだろう」

 「長男は引きこもりがちで、家庭内で暴力を振るうこともあった」

「周囲に迷惑をかけたくないと思った」

  事件前には「小学校の運動会の音がうるさい」と言う長男を注意した。当日は朝から隣接する区立小で運動会が開かれていた。息子が川崎市の登戸のような事件を起こす事を危惧して最終的に殺意を懐き、実行した。

06月3日

橋下徹氏(49)のツイート記事の抜粋

熊沢容疑者が自宅で長男を殺害したとされる事件に私見をつづった。

 川崎の20人殺傷事件を踏まえて「長男も人に危害を加えるかもしれないと思った」などと供述したとする報道に関し「何の罪もない子供の命を奪い身勝手に自殺した川崎殺傷事件の犯人に、生きるための支援が必要だったと主張する者が多いが、それよりももっと支援が必要なのはこの親御さんのような人だ。自分の子供を殺めるのにどれだけ苦悩しただろうか」

 さらに「自分の子供が他人様の子供を殺める危険があると察知した時、親としてどうすべきか?」このような親へのサポート体制は皆無」とした。

 続けて「僕が熊沢氏と同じ立場だったら、同じ選択をしたかもしれない。息子に子供を殺める危険性があったのであれば、僕は熊沢氏を責められない」と綴っていた。確かに、橋本さん得意のエモーショナルな発言ではあるが、後述するが如くこの手の考えは、思考方法は糾弾されるべきだ。

タカさんの考え

 自分の事として,自分の家族の事として考えてしまいます。身が震えるような恐ろしい選択ですね。そこまで精神的に追い詰められていたのだろう。何とか立ち直って欲しい、今の万能型瞬間湯沸かし器の状態から脱却させなくてはならない。俺(男親)の眼の黒いうちに解決をの思い強かった。それ故の必要以上の長男に対する干渉であり、長男からの反撥だったことは想像される。何かが起こりそうな雰囲気が、漂っていただろう。考えに考え、思案に思案を重ねての決行だった事は想像に難くない。堂々巡りの果てに選んだ手段が余りに哀れである。誰かに相談をするという試みは方法論として浮かばなかったのですか。して欲しかった。何とか救いを求めて欲しかった。

社会に大きな衝撃を与えた、熊澤英昭容疑者が長男を刺殺したとされる事件。

「『川崎殺傷』引き金

『殺すしかない』書き置きも」等でも分かるように川崎市の20人殺傷事件が一つのトリガーとなって起きてしまった悲劇ですが、熊澤容疑者に「長男殺害」以外の選択肢は残されていなかったのでしょうか

 

06/05日

「刺さなければ、自分が殺されていた」新聞の見出しである。自宅からは殺意をほのめかす容疑者のメモも見つかっている。継続的な家庭内暴力で心身共に限界を感じ、追い詰められて事件だろう。暴言や暴力は中学校2年の頃から始まっていた。別居していたが、今年5月から同居が始まった。両親に対する暴力はこれまでの人生の鬱憤を晴らす連鎖状態だった。 [ぶっ殺してやる」と言って夫婦に暴力を振るい続けた。容疑者の体には最近のものと思われるアザがあった。但し、警察や市役所に息子の家庭内暴力に関する相談が寄せられることはなかった。近所の住民たちは「息子さんがいるなんて知らなかった」と口をそろえた。

供述から

事件前には「小学校の運動会の音がうるさい」と言う長男を注意した、と供述している。当日は朝から隣接する区立小学校で運動会が開かれていた。

日本の抱える大きな問題の一つ『8050問題』が浮かび上がる

中高年の引きこもり(40から64歳の引きこもり)は全国で64万人だそうです。

が、ひとまとめにして『日本社会の落ちこぼれ』と烙印を押してしまっていいのですか。

社会から孤立する中高年と高齢化する家族を巡る大きな問題である。

家族内暴力で精神的に苦労している人が、「他人に迷惑を掛けてはいけない」という理由の解決策を見いだしてしまった。そして最終的に犯行に至った典型例だそうです。

「1人で死んで」発言も引き金になったかもしれない。

このサジェスチョンは大切だと思います。

登戸で51歳の男性 児童を無差別に殺戮

5月28日(火曜日)

 午前7時40分ごろ、川崎市多摩区登戸の路上で、「私立カリタス小学校」のスクールバスを待っていた児童らを次々と包丁で刺すという事件があった。岩崎隆一容疑者(51)は、児童18人と大人2人の計20人に包丁で刺した。うち小学6年の女児(11)と、別の児童の保護者とみられる男性(39)が死亡した。このニュースを聞いて我が耳を疑った。空恐ろしい無差別の殺戮です。殺人事件や傷害事件の加害者を擁護する訳ではないが、恨みつらみが募りに募って犯行に及ぶことは有るかもしれない。自分の人生を狂わせたのはあいつの性だと思いを募らせる。殺意を懐くこともあるだろう。尊属の事件だってあるだろう。空腹感に絶えかねて、物を盗むこともあるだろう。道徳として社会規範として厳しく罰せられるべきである。が、情状を酌量するところもある。本来はそうした激情的な感情は何か他の方法で「昇華」すべきである。そう教わった。或いは、忘却という時間の流れが感情を和らげてきた。

しかし、全くの無差別通り魔的殺人は少しの酌量の余地もない。どうなっちゃったの?

 

一番悔しかったこと・日本人として情けなかったこと

トランプ米大統領は28日、神奈川県横須賀市の海上自衛隊横須賀基地に停泊する護衛艦「かが」の艦上での演説で、28日朝に川崎市多摩区で起きた児童らの殺傷事件について触れ、「被害者に哀悼の祈りをささげたい。すべての米国民は、日本国民とともに、被害者やその家族に哀悼の念を表したいと思う」と述べた。

アメリカの大統領に同情されたのかと情けなかった。

私的には,アメリカは「暴力とリンチ」の無法国家だと思っている。クリントイーストウッドの「許されざる者」を観た人は誰もがこの意見に頷くだろう。だから、「アメリカも大変な国だ」「平和・安全を装ってみんな生活をエンジョイしているけれど、すぐその背後には,いつどこから鉄砲の弾が飛んでくるかもしれない恐怖と向き合わなければならない。」「家の玄関を開けっ放しで出かける。夏の暑い晩は窓を開けたまま寝る。」きっと彼等には理解出来ない社会習慣だろう。そんな偏見を強く持っている。

結論として、日本の首相が訪米したときに痛ましい事件の緒被害者に対して日本国を代表して哀悼の意を表する事はあると思っていた。それが、まさか・・・

 

子供を巻き込まないで1人で死ね!!

 登戸の事件で2人を殺害し、18人に重軽傷を負わせ、直後に自殺した岩崎隆一容疑者(51)について、テレビ番組で「子どもを巻き込まずに、1人で死ねばいい」といった趣旨で発言する出演者が相次いだ。落ち度のない子どもたちが不意に襲われて事件だけに、賛同する意見が多い。私も無差別の殺傷事件を起こしたことは怒りがこみ上げてくる。が、「1人で死ね」という発言には「そうだ!然り!」とは相槌を打てない。何故だ。考えた。引きこもりと一般的に総称される人々に対する公然とした非難になりかねないからだ。色々な生き方が赦されて良いと思うのだ。「みんな違ってみんないい」世の中であるべきだ。色々な生き方があるが、それはその時代時代の規範をルールを守らなければならない。その事を周りの皆が支えていくことが必要である。登戸の事件の容疑者も元農林事務次官の息子殺し事件も引きこもりになった成年が,社会的に追い詰められてしまっていたことだ。そして、家族も社会に助けを求めなかったことが悔やまれる。

 

「非難控えて」に賛否

 そんな状況にネット上で異論を唱えた人達も沢山いる。「次の凶行を生まないためにも、『1人で死ぬべき』という非難は控えてほしい」と呼びかけた。

 「テレビやネットでの『死ね』は不特定多数への示唆となってしまう」といった声がある一方で、「自分の家族が被害者でも同じことを言えるのか」などの意見も多い。「死ね」発言を擁護する声も多い。

 

「拡大自殺」のおそれ

抑うつ状態の人は絶望感に苦しみ、自殺念慮が芽生えやすい。そんな時にこの発言を聞くと、「もはや誰も助けてくれない。自分は生きている価値がない。死んでしまおう」という思考回路になりやすい。さらに、自殺念慮を持つ人が誰かを道連れにする可能性もあるという。「拡大自殺」と呼ばれる行為だ。2001年に児童8人を殺害した宅間守・元死刑囚も、「絶望的な苦しみを人に味わわせ、死刑によって自分も死にたい」と考えたとされる。

 

{感情と冷静な議論、バランス必要」

「メディア倫理の観点からみて、自殺を奨励しているかのように受け取られる内容であり、適切ではない」と指摘。放送法の趣旨も踏まえ、「過度に感情的にならず、公平で多角的な内容を心がけるべきだ」と話す。

 

こんな時こそ

辛く悲しい時は

命が繋がっていることを思い出すんだ

自分のことばかり考えないで

他の命のために何かをしようと考えるようよ

                       こんな格好良い言葉どこから拾ってきたのでしょうか。

           スマート・フォンのメモ帳に書いてありました。

           5月19日です。

           富山清流マラソンの帰りの国鉄の汽車の中で拾った(盗んだ)

 

 

滋賀県湖畔の保育園児交通事故  5月8日

午前10時15分ごろ、大津市の県道交差点付近「で、「保育園児の列に車が突っ込んだ」と近所の住民から119番通報があった。滋賀県警や大津市消防局などによると、園児13人と保育士2人が搬送され、園児2人が死亡、2人が意識不明の重体。事故に遭遇したのはレイモンド淡海保育園の園児です。園児らは散歩中で、事故当時は現場となった交差点で信号待ちをしていたという。県警によると、この付近で、直進してきた軽乗用車と右折しようとした乗用車が接触。はずみで軽乗用車が園児らのいる歩道に突っ込んで大惨事になったようである。 亡くなったのは伊藤雅宮(2歳)と原田優衣(2歳)の二人。

連休明けの暖かい水曜日の朝、園児達は散歩に出かけた。いつもの,恒例の行事である。のどかな春の日本の風景である。

交差点で右折しようとしている車がいる。大きな交差点である。前の車が右折した。後続の車も右折を始めてしまった。本当は対向車線からの直進の車がないことを確かめる義務があります。曲がり始めたら直進の車が来ているのを発見。急ブレーキを踏んで、車を止めた。対向車線の直進の車は優先だから普通の感覚で交差点に突っ込んだ。対向車線から右折しようとする車を見つけた。慌てて、ブレーキを踏む間もなく右折しようとした車の先端にぶつかる。その衝撃で飛ばされた。その飛ばされた場所に保育園の園児が信号待ちをしていた。交差点にガードレールは設置されていなかった。

二台の車は両方とも右前部が破損している。ということは右折する車がもう少し車体を曲げていれば車-車の衝突事故で済んだかもしれない。或いは直進の車が、ブレーキを踏んでいれば、・・・急ブレーキの痕はない。

 

何というタイミングの悪さだ。

信号待ちのタイミング。

右折し始めたら止まるな。

直進だって前方注意義務があるよ。ブレーキを踏めよ。

                           2019/06/04

 

福岡 81歳の老人120キロで対向車線暴走   6月4日

100キロ超の猛スピードで反対車線を暴走するワンボックス・カー

意識喪失状態だっとは考えられない軌跡

 

ここまで書き上げていたら今度は福岡で高齢運転者のワンボックス・カーが600メートル逆走して(反対車線を100キロ以上のスピードで激走)追突・衝突を繰り返して三叉路の交差点に突っ込み歩道に乗り上げる。9人が死傷(死亡したのは運転手小島吉政(81歳)とその妻)目撃者の証言やらドライブレコーダーの記録からは車が空を飛び跳ねていた。ものすごい音と衝撃だったようだ。古島さんは最近心身の衰えが目立ち始め、免許書返納を周りの人に相談していた。司法解剖の結果では脳卒中や心筋梗塞等の病変は見つからなかった。意識はあったのだろうか。時速120キロだとすると20秒足らずの時間であるが、運転時間としては結構長い。アクセルを離す時間は充分にあったと思われる。走行軌跡を観ると蛇行ではないのだから意識はあったのだろう。何を思って突っ込んだのですか。その理由は??

ジャームス・ディーン主演の「理由なき反抗」のこんなシーンを思い出した。崖に向かって車を走らせて「勇気」を競うシーンがある。観客の私達が恐怖で体が硬くなってしまった記憶がある。今回も①アクセルを離す。②ブレーキペダルを踏むという操作が必要だがアクセルとブレーキを誤認したまま、『ブレーキが効かない』『どれだけ踏んでもブレーキが効かない』と絶叫しながら猪の如くに猪突猛進したのか。亡くなってしまったので全ては分からないままである。

 

池袋 高齢者暴走事故 (容疑否認)  4月19日

そういえば、2ヶ月ほど前の池袋の事故を起こした容疑者はブレーキが効かなくなっていたと主張している。車体の欠陥が事故の原因だと言い張っていた。調べてみた。

4月19日、東京都豊島区で87歳の男性が運転する乗用車が通行人を次々とはね、自転車に乗っていた31歳の母親と3歳の娘が死亡した(松永真菜さんと娘さん)。容疑者は飯塚幸三(87歳 元高工業技術院院長 叙勲者)であり、半年前から杖をついて歩行をしており、周囲に「運転をやめようと思う」と話したこともあった。問題はそんな事ではない。「ブレーキがきかなかった…」飯塚容疑者は事故後の任意の聴取でそう語った。今でも「ブレーキ踏んだのに効かなかった」と自分のミスを認めていません。警察も事故直後はメディアに対し、「クルマのトラブル」を示唆していました。今は、警察は「車両側に問題無い」という姿勢に変わりましたが、容疑を否認をする飯塚容疑者に対する態度は変わりません。誰もが感じたように私も違和感を感じました。何故、飯塚元院長の呼称のままなの?何故容疑者は逮捕されないの?

私見を言えば、死亡事故であったとしても交通事故で手錠を掛けた逮捕はやり過ぎだと思っています。逮捕する判断基準の「犯罪の重大性・悪質性、逃亡のおそれ、証拠隠滅のおそれなどの事情を総合して判断する」に該当しないからです。

但し、事故を否認すれば、当然逮捕です。身の回りにも人身事故を否定して逮捕され、拘置所に勾留され、裁判を受けた人がいます。今回の飯塚容疑者はこれに当たりますから、私の判断からすれば正当な逮捕理由だと思いますが・・・

今回警察はそのデータを取り出して調べた。衝突直前の状況を解析。すると「アクセルが踏まれており、ブレーキは踏まれていなかった」という結果が出たのでしょう

 これだけ証拠が揃っていれば、その国家の判断に異を唱えれば逮捕は当然だと思うのだ。

この事故は,最愛の妻と娘を亡くした松永さんのメッセージが涙を誘いました。

 

                        2019/06/07日

 

ハンドルを握る大人の責任

上皇陛下が退位の時の談話で平成は平和な時代であった。戦争で、戦場で命を落とす国民が一人もいなかった。と話された。

私も高齢運転者です。事故も経験しました。注意しているつもりでも、とんでもない判断ミスをして冷や汗をかくこともあります。長時間の運転は疲れます。大好きだった行く宛てもない、ロング・ドライブを楽しむことは出来なくなりました。 でも、八百津で生活する者は、自家用車なしでは生きていけません。細心の注意と十分な休息を取りながら運転を続けます。

 殺伐とした世の中になってしまいましたね。潤いがないですね。

追記

「明日は我が身」
最近、メディアはこぞって高齢者ドライバーの事故を『目の敵』にした論調で報道する。報道というよりも糾弾する。70歳の私は当然高齢者寄りの立場である。でもどんな風に擁護したらいいのだろうと思案に暮れていた。肩身の狭いことだと思っていたら、岐阜県医師会報6月号の『ブレーキを踏んだが・・・』を読んで考えされられてしまった。池袋の事故の87歳の容疑者は今でも(6月13日)ブレーキを踏んだが車が止まらなかったと嘯いています。元官僚だから何を言っても赦されるのかな? 
 註
 ブレーキとアクセルに異常のなかったことは立証されているにも拘わらず自分の主張を繰り返している。
兎に角、高齢になると突然体が動かなくなることがあるようである。緊張の余りにそんな事がある。頭の

中は真っ白になり。原稿も読めない。譜面も読めない事態になることがある。どうもこれが脳の老化ということだと書いてある。
福岡の事故などはきっとこの状態に該当しそうですね。運転手さんも同乗者も死亡したので詳しいことは分からない。
 高齢者には,踏み間違い防止装置、自動ブレーキ,衝突防止装置等の安全装置のついた車の運転だけに制限する免許書を発行するというのも一方法である。超高齢化社会の最先端事業として日本が先頭に立ってやるべき事だろうね。

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