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最先端医療技術見聞録(その3 タカさんの前歯)

出っ歯の悲しみ

 序章 

存在しないはずの私の読者へ

私が劣等感の塊として生きてきたことはこれまでの記述を読んでくれば、分かってくれていますよね。その劣等感(INFERIOR COMPLEX) の最たるものの1つが出っ歯である。赤塚不二夫の「おそまつ」君の登場人物にも『イヤミ』と呼ばれる出っ歯がいた。大嫌いな、虫ずの走るやつだったが、結構人気があった。『シェー』のポーズも決まっていた。あれで出っ歯でなかったら好きになれたかもぉと回顧するのだが、出っ歯だから一般的な読者はバカにすることのできる登場人物として人気があったのだから所詮考え方の根本が間違っている。

 高校時代のことだ。私よりも一廻りも、二廻りも大きなヤツと殴り合いの大げんかをしたことがあった。いいように顔面を殴られ、腹を蹴られた。私も手数を出したがまるで歯が立たなかった。そのうち「痛てーな!」「孝充!」

「おんしの歯で俺の手が、拳が切れちゃったじゃないか!」と怒鳴り声がした。ヤツの右手から血が出ていた。私の口の周りも血だらけだった。痛みより、出っ歯をことさらに言われたことが耐えがたかった。ヤツは、その後、事あるごとに「孝充の出っ歯には参ったわぁ」「あの歯には勝てん!」とふざけてきた。その度に唇を噛みしめていた。

私が子供時代を過ごした昭和という時代はチョット乱暴な時代だった。平気で他人の弱点をあげつらう社会だった。例えば、容姿の美醜でも、頭の善し悪しでも、体の不自由さでも、貧富でも、平気で白い目で見た。からかったり、蔑(さげす)んだり、そんなことは当たり前だった。

青春の香り(出っ歯の悲劇)

 あれは1979年、4月カラコルムヒマラヤ遠征登山をする前の頃のことだ。そう、20代の後半、人生を斜位に構え、何となく粋がっていた。ヒマラヤ登山に行くということは「死」を意識することでもあった。少しだけ覚悟を決めていた。それ故の、青春故の悲壮感もあった。その頃のことである。

私が惚れ、そして私を好いてくれた女性がいた。今でいうデートなどという洒落たものではなく、何となくよく話をし、太宰文学を語り、フランソワーザガンの「悲しみよこんにちわ」の一説を語り合う仲だった。お酒を一緒に飲む仲間でもあった。ある時「タカさん、私はあなた帰ってくるのを待っているわ」とぽつりと言った。1979年2月、よく雪が降る寒い冬だった。その晩も夕方から吹雪模様となり、鍛冶町が私達を誘っていた。私は、心に決めていた。「待っていてくれ」とは口が裂けても言わないと決めていた。ショーコタンにもその私の気持ちは十分に伝わっているはずだ。が、うろたえた。窓の外の降り積もる雪を眺めて寡黙を守った。一言も発しないで、ビールを飲み続けた。酔った振りをしてその暗黙の了解の掟を破って呟いた彼女の気持ちを思うと胸に迫り来るものがあった。あったが、不幸を重ねてはならないのだ。心を行動で現して返事をしなくては・・。そっと彼女の体を抱きしめた。そして、口づけをした。私の精一杯の演技である。が、ショーコタンの反応はゲラゲラだった。「私もチョット出っ歯だけれど、タカさんの歯は極端ね」「歯と歯が当たって、カチ・カチって音がするのよ」と笑いコケている。余りに見事な笑いっぷりに拍子抜けした私も心が軽くなって笑った。雪の降る弘前の街を2人で雪合戦をしながらアパートまで帰った。コートのフードも手袋も、ズボンも、ポケットも防寒靴も雪まみれだった。玄関先でお互いの雪を振り払い、ストーブを焚き、コートをマフラーをハンガーに吊した。宝塚歌劇団の「ベルサイユのばら」の鑑賞ツアーのパンプレットが机の上に置かれていた。大ヒットしていた時代だ。主人公の近衛士官オスカルは実は男装の麗人。王女マリーアントワネットに仕える。「私を棄て公に尽くす」凜々しく振る舞う彼女(オスカル)は、その頃の日本人の心に素直に受け入れられたのだろう。涙して諦める。その頃、大人気の歌劇でした

   カーテンの 丈短くて

隙間より  朝日洩れ射す 妹背(いもせ)の窓辺

変遷

 私は何時か[歯並び]を治したいものだと考えて生きてきた。綺麗な歯並びに憧れていた。美尋さんに直してくれと頼んだが、それは年齢的に無理だし、そんな矯正をする意味がない。それよりも虫歯のない歯を大切にしなさいよと諭された。 義姉にも相談した。あれは、確かランニング用のプロステーゼを造ってもらった時に相談した。20年ぐらい前のことである。ニュアンスの差こそあれ宥められ、私は諦めた。 そんなこんなで、私の淡い願望、歯並びを矯正するというドアーは、扉は開けられることはなかった。いつしか私の願望も色褪せ、過去の心の遺物と化していた。

 私は開業以来、診療のある朝には、「始業前点検として、鏡に写る自分への自問自答」をするのを日課としているのだが、何時しか出っ歯であることに特別の意識をしなくなってきていた。人生は黄昏時期に差し掛かり始めていた。

転機・・・我に風なびく

2018年(平成30年)

3月01日(木曜日)

猛烈な前歯の痛みを意識したのは夕ご飯の時だ。前歯に食べ物があたると激痛が走る。ジーンとなる。どうなったのだ。訳が分からない。この間まで、2.3日前までリンゴを皮ごと丸かじりにしても全く問題なかった。こんな時には、出っ歯は便利だ。パワーシャベルの如く大胆に、豪快にリンゴを削り取れる。「ガリ・ガリ・ガリ」「モグ・モグ・モグ」「ゴリゴリゴックン・ゴリゴリゴックン」が私のリンゴの食べ方だ。

思い起こしてもなんともなかった。それが、どうした訳か「前歯・右・上1番」に食べ物があたると痛みがある。

虫歯?  

まさか

歯槽膿漏が密に進行していた?

あり得ない

03月02日

お茶を飲んでも痛い。パンがあたると痛い。知覚過敏だろうということで薬剤を塗布してもらう。ロキソニンを服用する。右・上1番が、左右から周りから押し出されているという自覚は時々あった。最近それが気にはなっていた。朝、美尋さんに歯の一部を削って貰う。歯(どこの歯?そんなのは知らない)が直接当たらなくなったので楽になりました。

3月3日(土曜日)

「杉原千畝のモザイク画でギネス記録に挑戦」に参加する(詳しくは「タカさんの徒然草」の記載を参照して下さい)午後いっぱいを小学校の屋内運動場で、屋外運動場で過ごし、フィナーレで敷き並べた煎餅を記念に分けてもらった。家に帰ってその煎餅を食べようとして割り始めたら、前歯の痛みを意識する。困った。困ったが前歯を使わなければなんともない。食事以外の生活に不便は全くない。気にすることはない。そう信じましょう。

鏡で見てみると患歯は、チョッと回転している。どんな力が働いたのか分からないが、かなりのトルクが掛かって回転したことは確かだろう。

4月7日(土曜日)    八百津だんじり祭試楽祭

 夜の公民館での反省会のことである。ビールを飲みながら明治の板チョコを囓った。

齧ったら痛かった。それまでも痛い事はあったが、通常の食事、ものを食べる機会には、私の2本の前歯は基本不参加である。時々参加するだけです。だから全く意識しなくて済んでいた。不用意に参加すると辛い思いをする。

有事に備えて、なんとかしなくちゃあ!!

 鏡を見るとダメだね。写真を見ると片目を瞑って苦虫をかみしめます。うんざり。

もう一度美尋さんと義姉に相談する。末広町で検査と治療を受けることになりました。

 

義姉に宛てた依頼紹介状の一部

周りから押し出されてチョット斜めになっていた右上一番が大きく左旋回しました。患者さんに対面して、鼻の位置を0度、下あごを180度とした時350度の位置にある歯がいざりました。もっと的確な表現をすると右上一番の前歯がその縦軸方向に反時計回りに30度回転しています。そしてその歯が徒長しています。少なくとも表面的には歯肉は、上顎方向に後退しています。そして左の一番より数MM垂直に伸びています。 こんな事態にならなければ、一生(残りは5-10年ぐらいですが・・)「出っ歯のタカさん」のままで生きるつもりでした。しかし、今の状態は余りにコスメティックに醜い。なんとかしたい。なんとかなるものであれば、この世を去る前に「前歯で物をかみ切りたい」と淡い期待を抱いています。宜しくお願いします。

ギョ・ギョ  これが最新歯科治療

(NHKの連続テレビ小説の間投詞はふぎょぎょです)

4月21日(土曜日)

)

 末広町国島歯科で検査と治療を受けました。まず歯のCT撮影を受けました。その昔、オルソパントムという歯科用パノラマ写真を撮ってもらったことはありますが、CTは始めてです。下顎骨と歯の間にはデッド・スペース(死腔)が見つかりました。歯科用語では「ペル」っていました。虫歯なし。骨折もなし。根尖性歯根膜炎(PERIODONTITIS)と歯髄炎の合併かな? これを機会に治すことにしました。どうしてこうなっちゃたのか分からないと隼ちゃんが考え込んでいましたが、元凶は加齢です。

歯科治療も最先端はマイクロサージェリーです。診療室にはバロック音楽が流れていました。

歯は上顎から遊離しているので神経は途絶している。よって痛覚は無いそうです。事実疼痛はない。歯の裏面に穴を開けて死腔を洗浄してくれました。多少排膿があったようです。無菌性死腔炎でしょうね。

これで第1回目の治療は終わりました。

 國島隼也先生宛てたメールから

 鼠が何故柱を、家具を噛むのか? それは前歯2本がどんどん徒長し伸びてくる。餌を食べるのに邪魔になる。放置しておくとどんどん伸びて、邪魔になる。妨げになる。その弊害を防ぐために前歯で色々のものを齧り、噛み、文字通り前歯を消耗させる。そして常に、適切な長さを保つのです。 人間の歯も使うことにより歯の長さを調節するそんな能力がある。ところが、私の前歯ば日常生活で使われるチャンスがない。当然『徒長』します。元々大きいこともあるでしょうが、使うチャンスに恵まれないから徒長する。そして、歯が縦(長軸)方向に押されないからCAVITY は出来やすい。 出っ歯の人の前歯が大きい・長いのではなくて、出っ歯の人の前歯は噛むという作業をしないから長く伸びた状態を保つのだと思う。私の場合は、それが度を超している。使わないから神経は廃用萎縮する。何かのチャンスに感染が起こっても痛いという炎症反応が起きてこなかった。今回限界が来て痛みが出現した。

そんな推論です。

 2年前には全く予想もしなかった椎間板ヘルニア、今度は、寝耳の水のPERIODONTITIS!!

この2つを解く鍵は『加齢』です。

 

5月2日(水曜日)

2回目の治療です。緊張はありません。洗浄した死腔に新たな排膿は認められませんでした。

死腔全体に詰め物をして閉じました。これで大丈夫かの確認だそうです。

 

どんどん期待値が高くなります。

どんな歯並びになるのか私の想像力では画き切れません。分かっていることは神経がなくなってしまっているので歯に色素沈着が来るそうです。それを隠すために多分セラミックの被せものをするそうです。その時に患歯を一廻り小さくして引っ込めてくれるそうです。しかし上顎骨そのものが前下方を向いているので自づから限界がある。

  •                前編はこれで終わりです。次の歯科治療は、診察は6月13日です。
  •                   出来上がりは今からとても楽しみです。
  •                    前歯で食べ物を食べきることが出来たら拍手お願いします。

 

 

出演者の紹介

美尋  

タカさん女房 東京歯科大学出身の歯科医である。腕はいいのだが、タカさんの世話と医療関係の雑用で十分にその技能をつかかう環境に恵まれていない。俗に言う「宝の持ち腐れ」に近い。最近は乗馬に新しい人生の楽しみを、目的を見つけ邁進している。 2人の息子が医学部に進めたのは彼女の努力の賜である。旧姓  國島美尋

義姉

美尋の実姉。末広町の国島歯科クリニックの院長。才色兼備という褒め言葉が、最適の女性。歯科治療に対する情熱、技量、才覚全てに秀でている。 歯科医であることに矜持(プライド)を持っておられる。大変な苦労人でもあるが、その人生観が素晴らしい。

隼ちゃん

義姉の次男、国島歯科3代目、音楽に才能を持ちながらも苦労して歯科医になる。笑い声と口髭に特徴がある。義姉の厳しい薫陶を手ほどきを受け、又研究会、講習会で新しい知識と技術の習得を目指している。立派な国島歯科の3台目の後継者である。

義父

真希子・美尋姉妹の父親。末広町国島歯科の創設者である。戦後の昭和30年代に私費でアメリカ留学をされ、最先端の治療技術を日本に導入した先駆者。岐大口腔外科の教授には國島天皇と呼ばれていた。後輩の育成にも尽力された。絵画、彫刻に造詣が深く引退後の晩年は能面を彫っておられた。

タカさんの歯科治療歴

原則、歯科治療は苦手です。これまでの歯科の治療歴は結婚当時、義父に左右の臼歯のC1を削って貰い「金」で埋めて頂きました。もう一回は開業後、右下埋没智歯の抜歯、この抜歯は岐阜大学の口腔外科に勤務していた美尋さんの独壇場の手術です。痛くは無かったが、痛かった。この2回です。歯医者さんには色々と縁が深いですが、歯科治療は嫌いです。

鍛冶町

弘前大学医学部の隣(隣接)にある歓楽街。道路を挟んで大学病院と大きな飲み屋街の構図です。仕事が一段落付いても、つかなくてもネオンが灯れば自然と脚は鍛治町、桶屋町に向かう。それが自然の摂理である。

ショーコタン

想像力の欠如である。どんなに呻吟しても一行も書けない。「書いては消す・書いては消す」の作業の繰り返しの末の産物である。適当に文章を書き、投稿し始めて2年近い年月が経った。テーマを絞ると結構色々のアイデアが出てくる。堰を切ったように次々に思い浮かび、何時間もワープロの前に座って、キーボードを叩いている自分を時々意識している。まるで作家気取りの大馬鹿者まるだしたが、事実そんなふうに意識している。そうなのだ。他人に迷惑を掛けている訳ではないので赦して・・。

しかし、この寓話にはほとほと困り果てた。キーボードに手を置いて長い間、何も入力出来ない経験をした。恋愛小説が嫌いな訳ではない。色々の話も聞いてきた。見てきた。しかし実体験の欠如ですね。豊富に人生体験に基づいて・・・というところが決定的に不足している。

付け足しの、面汚しみたいな短歌  誰も読むはずない投稿だから思い切って、こっそり掲載しました。

破れかぶれが今の心境かな。

無から有は産まれない。

火の気のないところに煙は立たない。

「いつの日にか、小説を書いてみたいものだ」と何かに書いた記憶があるが、全否定をしておきます。

                                    平成30年5月18日  脱稿

 

 

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