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ランニングを語る その3 ランニング・アラ・カルト

 ランニング・アラカルト

 

 <<走る広告塔>>

「タカさんは何故走るの?」「ランニングのどこが面白い?」

よく聞かれる質問です。幻のエベレスト初登頂者マロリーは「そこに山があるから」と美しく、謎めいた、禅問答のような答えを残しました。残念ながら俗物の私の答えはこうです。「佐藤クリニックの動く広告塔だからです」

世の中に溢れている宣伝文句、CMのキャッチコピーは刺激的で、印象的です。ですが、あんなしゃれた文句の宣伝は出来ません。私に出来ることは、己が宣伝媒体になることだったのです。真夏の35℃を越える時も、冬の寒風の下でも、ジョッキングを楽しんでいます。八百津のメインの国道418号線を鼻唄を口ずさみながら走っています。佐藤クリニックの動く広告塔です。そして無料です。

弊害もあります。腰を痛めてジョッキングを控えていた時期があります(平成28年前半)。何人もの患者さんから「先生! 最近ジョッキング姿を見ませんね?」「どうかされましたか?」言い訳はしたくないし、宣伝がないと受診患者数が減りかねません。そんな危機感が、早い復帰をもたらしてくれました。

弊害では無くて、素晴らしい宣伝効果ですね。

 

 <<肩身の狭い市民ランナー>>

   ジョッキングを始めた時代、世の中は市民ランナーに対して結構冷たかったですね。というより、街中を駆け抜けるランナーという存在が認識されていなかった。特に八百津のような田舎では殆ど無かった。同級生には諭されました。「はっきり言うとおまえは邪魔。車のスムーズな交通の 妨げだ。皆 迷惑をしてござる。」「どうしても走りたければ、蘇水公園とか山道を走れ」

沢山の方から忠告をアドバイスを頂きました。「先生危ないよ!」「運転するものにとっては、・・・」

ドライバーの迷惑になっていることは十分承知していましたが、ランナーも道路使用者だときっと認知されてくると信じて、「忠告有り難うございます」「気をつけて走ります」と返事を返した。その甲斐あって、今では街中にランナーの姿を見ることが多くなりました。走りやすい環境が整いました。

勿論私も自分がランニングを始める前は市街地で時々見かけるランナーに対しては同じ事を思っていました。

 

 <<ランナーズ   1976年創刊  老舗>>

今でこそ定期購買部数600万部と言われるランナー・ジョッカーの愛読雑誌ですが・・・

25年前には、不遜にもこんなふうに考えていました。ランニングはどんどん普及して欲しい。そんな人達のよすがとなる、頼りになる雑誌に成長して欲しい。きっと市民権を得るようになる。でも、今購入する人は決して多くないだろう。廃刊になっては「灯」が消えてしまう。義侠心を出して定期購入しました。5年間ぐらい続けました。読む時間があったらトレーニングした方がベターだと考えていました。

生意気というより、不遜ですよね。よくもまぁこんな独断的な偏見に満ち溢れた考えをしていたものだ。

 

<<25年前の大会の風景>>

揖斐川マラソンは揖斐川町の教育委員会でした。当然、専属の担当者はいましたが、大変だったと思います。注文・クレームが多かったでしょうね。私達も「イイガガリ」をつけて無理矢理出場枠とゼッケンを貰ったりしました。隣の総合庁舎の駐車場に駐車したこともありました。のんびり・牧歌的でした。

静岡県の袋井マラソンの会場は袋井商業高校でした。大混乱でした。2002年、日韓共催のFIFAワールド・カップ用のエコパスタジアムが2001年に完成しその年の開催からエコパに移転しました。満員の観衆が待つ(これは単なる枕詞)エコパスタジアムのトラックに帰ってくるのは爽快です。両手を挙げて思いっきりアピールしてゴールします。

京都府の橘川マラソンも京田辺市の倍良中学の体育館が受付でした。選手は道路に溢れていました。車もあちらこちらに放置したままでした。草内木津川運動公園に移ったのはいつ頃でしょうか。同じ時期だったように記憶しています。

 

   <<白昼夢  一旦緩急有れば義勇公に奉じ・・・>>

 20代、30代は思想的にはノンセクトラジカル、或いはニューレフトだと自負していたが、一家を構えるようになり少しずつ右傾化している。 批判精神は失いたくないと思っているが、日本的は道の選択もあると確信している。その一つが天皇制である。今は、そのことには多く語らない。

国難に際して天皇の臣民として一兵卒として奉仕したいと思ってきている。思っているだけでは絵に描いた餅だ。年老いた医者がお手伝いしたいと申し出ても相手にして貰えない。納得させるには体力が必須だ。先頭に立って軍医として働きたい。或いは銃を持って戦地に赴きたい。父にたたき込まれた教育勅語を復唱しながら、走ったこともあります。もうすっかり忘れちゃったけれど・・。

冗談ではなくて、そう思っていた時代がある。今となっては、もうお国の為に奉公することは出来ません

 

<<ウルトラ100キロを目指すランナーに助言を>>

 勧めません。はっきり言って体への負担が過度です。が、それでも走ろうと計画する勇気ある、無謀なランナーはいますよね。ソンな人達にちょっとアドバイス

その1  つらい経験を造っておいて下さい。

 私の場合は、大学山岳部時代の北海道日高山脈の冬山合宿です。あの時の辛さ、困難さに比べればこのくらいは耐えられるはずだと自分に言い聞かせることが大切です。耐えてきたという精神力・体力が大きな糧であることは言うを待ちません。放棄したくなった時、冬山合宿は途中棄権は内からねと何度も自分に言い聞かせた。心がくじけそうになる。なった時「まだまだ!」と盛り返す反発力が必要です。バネが欲しいですよね。

その2   どれくらいくらいトレーニングをするのか・・

 フルマラソン参加を2009年の記録帳から拾ってみました。

1月 木曽三川公園マラソン    2月 木津川マラソン 

3月 大阪市民マラソン      4月 掛川新茶マラソン

5月 武庫川マラソン       6月 金の鯱マラソン

7月 犬山桃太郎フルマラソン   8月 金の鯱マラソン

週100キロ以上を2.3週

 大会の2週前・3週前には100~130キロ/週のランニングをして心に余裕を持たせましょう。始めてフルマラソンに参加する時、経験者から「フルマラソンを完走するには40キロ/週の走り込みが必要だよ。」と教えられ、体得してきました。ウルトラも同じ事が言えますね。最低100キロ/週、余裕を持つ為には120-130キロ走り込んでおくと楽ですね。

早朝トレーニング

朝4時30分とか5時スタートです。早朝トレーニングも必須です。

感覚を養い、体を慣らしておきましょう。

<<持論   ご褒美のランニング>>

罰としてのランニングは一番いけないことだと思います。「ランニング=罰ゲーム→マイナスのイメージ・イヤなこと」という図式が頭の中に出来上がってしまう。山本昌も、期待された4年目のキャンプでボコボコに打たれた。星野監督に「止めろというまで走っていろ」と命令された。と話していました。彼らは意識が違うから、大丈夫でしょう。しかし、宿題をやってこなかった。イタズラをした。目標に届かなかった。そんな時、常套手段として「運動場を ?週走れ!」と叱らます。 間違いだと思います。

私の描くランニングはこんなふうです。

盗塁が出来た。好走塁した選手には、「もっと速く走れる!」「練習が終わったらランニングをしよう」激励の意味を込めたランニングを勧めましょう。サッカーも同じです。シュートをした選手に「ランニングをプラス」しましょう。活躍した選手が追加ランニングをするのだから他の選手にも良い影響がありますよね。

「ご褒美のランニング」という考え方が広まった楽しいね

 

もう一度尋ねます<<何故「ランニング」なのか>>

その 1 才能の要らないスポーツ 要るのは忍耐と持続力

誤解やら、誤謬を恐れないで書きます。この地球上で普通に歩いて生活をしている人を対象に書きます。

歩き始めは勿論、親の介助が、保育必要である。手を取り足を取って教えて貰って1人立ち、そして1人歩きが出来るようになる。その後は、教えて貰わなくても、普通に歩けます。そして成長と共に走ることも出来るようになります。才能は要りませんね。

その反対の例を挙げれば「水泳」です。原則人間は泳げません。水生動物ではないからです。泳ぐ為にはかなりの教育が必要です。10人の大人に尋ねてみましょう。「プールで25メートル泳げますか?」全く泳げないという人が一人二人います。泳ぎは得意ですという人も一人二人います。残りはどうにか泳げます。でも得意ではありません。

つまり、かなりの技量の差があります。運動神経のよい人、余りよくない人の差が大きく出ます。私は泳げますが、ビート板を使ったバタ足練習では5メートルが進みません。背泳でも前進しません。5分間手を回し、足をばたばたさせても天上の絵は変わりません。

つまり、ジョッキングは、市民ランナーレベルのランニングは、歩行可能な人であれば万人が出来るスポーツなのです。ユニバーサルスポーツです。才能の要らない楽しいスポーツ・・それが市民ランニングです。

関節の柔軟性は皆無、運動神経の発達は愚(鋭・普・愚)、性格は内向的。そんな私にとってランニングと取り組めたことはインフェリオー・コンプレックス(劣等感)の解消にもなり最高のプレゼントでした。誰からのプレゼントですかと聞かれたら与えられた才能をもてあましている運動能力の余裕者からでしょうね。私のように天賦の才能に恵まれない者にとっての福音です。天は非常に不公平な存在ですが、この「忍耐と持続力」という万人に与えられている陳腐な才能を、愚直に「くいぜを守る」が如くにやってきた私に素晴らしい「栄誉」を与えてくれました。有り難うございます。

 その 2 駄文を書き綴ります。

費用が掛からない。ジョッキング用のシューズがあれば、明日の朝から可能です。

いつでも、どこでも、気軽に出来ます。予約は要りません。誰かを誘わなくてもいい。

天候に左右されません(雪だけはダメですが・・・)

仕事の出張の折り、家族旅行の折、宿泊する時は鞄の底にナイケの五本指シューズと短パンを持って行くのが常です。早朝の知らない町をあれこれ散策しながらジョッキングするのは新しい楽しみです。

そして結構ストイックな所もある。

 前の晩に深酒をしてランニングで好タイムが出ることは皆無だと思います。ゴルフってそんなエピソードをよく聞きますね。おまけにお昼にビールを飲むと緊張が取れて、体の動きがよくなると言って杯を重ねるゴルファー(私も含めて・)っていますね。多分ランナーではないでしょうね。(浜名湖周遊ウルトラ100キロマラソン大会では、エイドでミニ缶ビールで饗応されます。)

<<勲章みたいなランニング焼け>>

こんな言葉があるのかどうか知りません。なかったら私の造語です。ランニングの時は両肘を90度に曲げて走ります。このスタイルでランニングをすると肘の内側は折りたたまれます。そして何時も同じシワになっている。必然的にそのシワの部分だけ日焼けしません。

夏場の屋外で日焼けをするスポーツは沢山有ります。サッカー、ゴルフ、野球、陸上競技等です。そのスポーツ特有の日焼けがあると思います。ゴルフだと手袋をするので片手が日焼けしません。襟首あたりの日焼けが目立ちます。野球はユニフォームで皮膚が隠れるので顔と前腕手首が中心です。サッカーと、水泳は真っ黒ですね。そんな意味で肘の部分のヨコシマのまだら焼けはLSD(long  Slow Distance)の勲章です。

写真を添付しましたが、分かるでしょうか

 

 70歳も目前です。何か他のスポーツに、例えばゴルフとかに変わろうと思うのですが、天賦の才能がない。上手くならない。ランニングのように努力の成果が結果に出てこない。

 

 

 

                                                           2017/08/12  脱稿

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