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東日本大震災から満6年(2011年 巡礼行脚)

第二章   巡礼行脚

大震災から半年を経た頃、私はどうしても被災地を観てみたいと思い始めていた。ボランティアでお手伝いに行きたいとも思ったが八百津からでは、開業医という立場では、それはままならない。フラットな気持ちで、なるべく先入観を持たないで三陸の被災地を回ってみようと決めた。以下はその紀行文である。

                   被災地で考えたこと                                                  

日本人として、日本に棲むものとして体験しておきたかったこと、それは震災の場所を自分の脚で歩いて被害の実態を眼で、耳で、肌で実感することでした。震災から8ヶ月、この原稿を認めている現在(平成23年11月10日)は最低限の義務を果たしたような気分です。テレビや新聞で何度みても、津波被害の恐ろしさは、現地を自分の足で歩かないと実感できないだろうと思っていたからです。一人では怯んでしまいます。八戸の黒滝君を誘うと私の気持ちを察してくれた。11月6日(日)午前8時、仙台駅で落ち合う。プリウスをレンタルして出発です。曇天ですが、雨はどうにか免れそうです。

巨大津波の足跡 女川町

三陸海岸の女川が、最初の目的地です。ここに到達した津波が最大だ。17.6メートルの津波の足跡をこの眼で確かめたい。この近代文明社会が受けたことのない規模の大災害--想像だにしていなかった巨大な大地震と津波が、我々人間の営みを容赦なく踏みつぶし、跡形無く壊滅した--によって無くなってしまった街の中心部をこの眼の底に焼き付けておきたい。仙台市内、そして三陸自動車道を走りながら最初に感じたことは、地震はそれ程ではなかったのだ。高速道路に亀裂は全くない、みえる限りの範囲では傾斜した家や、倒壊したままの建物も殆ど無い。阪神淡路の芦屋、神戸市内とはだいぶ違う。勿論、震災後8ヶ月近く過ぎている。復旧も復興も随分と進んだのだろうが、少し安心する。我々の想像を絶する被害現場が拡がっていると滅入っていた気分が少し和らぐ。1時間で石巻の海岸通りに到着する。この辺りから様相が変わる。海岸沿いの街並みは、思わず目を覆いたくなるような爪痕が残っていた。柱だけを残して1階はすっかり空っぽだ。2階には生活をしている人々の洗濯物があり、人影がある。続く万石浦は何処にも爪痕がないが如くだ。但し、石巻線の線路が新しい。レールが錆び付いている。鉄粉が飛んでいない。帰宅後調べたがまだ開通していないのだ。

峠の手前のローソンに立ち寄り状況を尋ねる。若い女店員は「このあたりは随分と修繕した。」「私の家は女川ですが、2階まで津波が来た。もうダメだと思いました。」「今でも、思い出すと眠れない夜がある。」道路で通りがかりのおじいさんに尋ねる。「峠の向こうは何もかもが流されてしまっている。」「なんも残ってない。」と、予想外に淡々と話す老人の口調にチョット驚く。諦めですか。それとも時の流れが平静さを装わせているのかなぁ!。

車を進める。海がみえ始める。眼前に広がった風景は想像を絶していた。真に、破壊尽くされている。本当に何も残っていない。本当に何もない。巨人が踏みつぶしたように跡形無く壊滅したのだ。峠からの下り道、道路脇の斜面の高い松の木の枝にブイが「津波がここまで来ました」という目印のように、引っ掛かっている。あそこまで水が押し寄せたのだ。

中腹の松の枝にブラ垂れるブイ(実に奇異である)

 市街地まで降りる。街の中心部は、全てを津波で押し流され、さらわれた。そこに立っていただろうと思われる建物の土台部分のコンクリートだけが残っている。 息を呑む光景だ。被災者にしてみれば悲しすぎて、苦しすぎて涙も出ない光景だろう。ぽつんとパチンコ屋だけが整理されないまま残っている。その建物の前で写真を撮る。仮設住宅が、リアス式海岸の僅かな平地に道路脇に造られている。学校の校庭にも作られている。確か女川では、土地が不足しているので3階建ての仮設住宅が建てられたはずだが、見つけることは出来なかった。

        防災庁舎で遠藤さんを偲び悼む                

そこから南三陸町に向かうリアス式海岸沿いをプリウスでひた走る。海岸沿いの沢山の被災現場を眼にして、今日は美しい三陸の海岸線、波もなく穏やかな海である。あの日、この海はどんなふうに姿を変えて押し寄せ、襲ったのだろうか。水平線を眺めながら想像してみる。17メートルに及ぶ津波とはなんだ。

そして、南三陸町の志津川に着く。ここは私の、我々の想像をはるかに越えていた。完全な浄土と化していた。浄土などと言う表現は不遜かもしれない。石牟礼道子の「苦海浄土 我が水俣病」からの発想である。今回は「津波浄土」とでも称すれば適切かもしれないとの思いが頭をよぎる。 公立志津川病院の前では思わずブレーキを踏んで止まってしまう。これが病院の姿なのか。大津波の呑み込まれてしまったのだ。正面玄関の突き当たりにレントゲン室、検査室、各診療科、病棟の案内掲示板が汚れたまま残っている。5階建ての中核病院の面影はない。70名近い患者さんと職員が逃げ切れず、恐怖の中で津波にさらわれた。献花に我々も祈りを捧げ、冥福を祈る。黒滝君はタバコを捧げる。(写真参照)道路を左折すると「防災対策庁舎」がみえてくる。鉄骨以外は何もない。階段の手すりも飴のように曲がりくねっている。眼前に押し寄せてくる視野一杯の津波の恐怖と闘い、風と轟音を聞きながら、最後の最後まで避難勧告を放送し続けた女性職員・遠藤未希さんが殉死したところだ。(写真参照)耳を澄ますとこの女性のアナウンスの音が、津波の音が聞こえてくるが如くの錯覚に襲われる。この建物でも20名近い犠牲者が出た。この南三陸町では500名を超える死者と400名を超える行方不明者が発生した。人口僅かに17.000人である。庁舎の前に焼香台が設置されていました。 ロウソクを灯し、線香を灯し、二人で手を合わせて西方浄土への成仏を、冥福を祈りました。

沢山の献花がありました。彼女の、多くの被災者の死を心から哀悼し、ご冥福を祈りました。

意識することなく、自然に般若心経を唱え始めました。自分の読経する心経が自分の心の中に沁み、何もないこの南三陸町の空間に吸い込まれていく。

摩訶般若波羅蜜多心経

觀自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄

舍利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色受想行識亦復如是

舍利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不淨不増不減 是故空中無色

無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色聲香味觸法 無眼界 乃至無意識界   

無 無明 亦無無明盡 乃至無老死 亦無老死盡 無苦集滅道 無智亦無得・・・・・・

津波にさらわれていく、まさにその時に彼女は、何を思い、何を考えたのだろうか。何度も、何度も心の中で「どうぞ安らかに眠ってください。」「この国は私達が必ず甦らせます」「生き残ったものの使命です」と祈り、念ずる。

 気が重いがこのことにも触れねばなるまい。街中に所狭しと積み上げられたがれきの山のことだ。延々と山積みになっている。何処までも続いている。高さ10メートル弱のそれが道路の端から端まで続いている。悪臭も漂っている。

カフカの「シューシュポスの神話」の世界かな。あまりの無残さに写真を撮るのも躊躇われたが、記録に残さなくてはとシャッターを押す。

 

 

        仮設売店 希望の灯      

裏手には仮設の海苔屋さんとガソリンスタンドがあり、ガソリンを満タンにし、「海苔とあぶらふ」を買い求める。逞しくこの地に営みを始めた人々がいるのだ。被災地出で出会った始めてのお店屋さんである。改めて津波のことを案内して貰った。チョット低いところにあった保育園は流された、高台にある小学校、中学校は助かった。現在仮設住宅が建てられている。津波の時の恐ろしさは例えようがない。この世が、地球が割れて自爆する!!という恐怖に駆られた。恐らく言葉では充分に言い表せないのだろう。

 現地で知りたかったことの一つに、尊い命を、積み重ねてきた歴史の積み重ねを容赦なく奪った津波の威力はどれほどのものであったのかがある。それを観て、触って、肌で感じて始めてその物理的な破壊力の凄まじさを知った。何もかもを奪い取り去った津波のとてつもない破壊力をはじめて、改めて実感した。11月の上旬の東北である。素晴らしい紅葉も期待したが、暖秋の影響であろうか見栄えがしなかった。でも今年の冬は暖冬であって欲しい。 被災者にとって暮らしやすい冬であって欲しい。

               小括    

今の時代の日本に生まれ育ち、この未曾有の衝撃に遭遇した者として東日本大震災の被災地を僅かながらでも歩く機会に持つことが出来た。勇気をふるうことが出来た。何となく大きな荷物を下ろしたような、背負い込んだような気分です。 現在もまだがれきの山が延々と続き、息を呑む惨状に言葉を失いました。 私達は今度の経験を経て、より大きく成長しなければなりません。より強く立ち上がりましょう。「余韻」を楽しむ暇はありません。

そして一番大切なことは、今度の震災を忘れないことです。

子供達に、子孫に伝えることである。

風化させてはならない。

                                         平成23年11月20日 脱稿

後記

南三陸町の仮設売店で購入した油麩を周りの親しい友人に配った。

そして、少しだけ私の印象を聞いて貰った。思いを同じくすることが出来た。

その話を聞いてもらうだけで満足です。                                          

そんなお土産です。                                                              

一番大切な、貴重な土産は話であるというと実感した。

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