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2019年 言いたい放題

タカさんのいいたい放題 2019年

 

おぼしきこと言は(わ)ぬは腹ふくるるわざ

平成31年・令和元年を振り返る

1.平成から令和に元号が代わり、平成天皇は譲位され上皇陛下となられました。皇太子徳仁親王が即位され今上(令和)天皇となられました。5月1日のことである。新しい御代の誕生を日本国国民の一人として心よりお祝いするのは勿論のことで有るが、平成天皇の願いが叶いお元気なうちに、御譲位出来たことを嬉しく思いました。31年間本当に有り難うございました。美智子妃殿下(皇后)と日本国中を行幸され、私達国民に優しく語りかけて頂きました。そして、太平洋戦争の激戦地にも度々訪問され、戦火に散った兵士、民間人の御霊を慰霊された。日本国を代表して太平洋戦争の敗戦国ととしてその罪を一心に負われて詫びて回られた。ゆっくり休んで頂きたいと思います。平成天皇が退位したいというニュースは一昨年の8月北海道の利尻島のレストランで観た記憶が有る。

3月、4月は平成最後だと日本中がうるさかった。大騒ぎだった。それには違いないが、チョット戸惑う。

その頃の日記にも

あと2日間で平成の御代が終わる。テレビジョンも新聞もあらゆるマスコミは平成最後のと大騒ぎである。確かにその通りであるが、一瞬一瞬が再び帰らない貴重な一瞬である。個人の想いとして振り返ってみることが大切だ。大事なことはその1人一人にとってこの31年間はどうであったのかである。「省みる」事が大切。

 

4月30日(火)

退位礼正殿の儀

 天皇陛下の御退位を広く国民に明らかにする儀式

5月1日(水)

剣璽等承継の儀

 御即位に伴い剣璽等を承継される儀式

即位後朝見の儀

 御即位後初めて国民の代表に会われる儀式

10月22日(火曜日)

即位礼正殿の儀

10月22日(火)に「即位礼正殿の儀(御即位を公に宣明されるとともに、その御即位を内外の代表がことほぐ儀式)」行われた。

 臨時の祭日となりました。四万十ウルトラマラソンを時間外完走した2日後でしたが、元気に走り回っていました。新しい御代が世界中に宣誓されたのだ。

 

「令和」の名前はこんなところから引用された

<<出典>>

 万葉集  巻5  梅花の歌 三十二首并せて序

<<引用文>>

初春 令月 気淑風和

 梅披鏡前之粉  蘭薫珮後之香

<<書き下し文>>

 

初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして 気淑(よ)く風和(かぜやわら)ぎ

 

       梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こな)を披(ひら)き

 

              蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす

 

<現代語訳>>

 時あたかも新春の好き月 空気は美しく風はやわらかに

  梅は美女の鏡の前に装う白粉のごとく白く咲き

   蘭は身を飾った香りの如きかおりをただよわせている

        歌人・大伴旅人が太宰府長官時代に宴会を開いた時に詠った。

 

タカさんの独断と偏見

個人的にはかなり熱烈な天皇制支持者です。しかしながらこのタイミングで4月27日(土)から5月6日(月)までの10日間を祝祭日とする国の方針には素直に頷けませんでした。そんなに長期間国の機能を止めてしまって大丈夫なのですか。[WITHOUT JAPAN」で物事が決まってしまう。少なくとも国民の健康を医療を預かる一開業医として10日間も診療所を閉じることは出来ない。しかも、佐藤クリニックだけではない。日本全国の医療機関が止まるのだから尋常ではない。私の独断と偏見で4月30日、5月01日、5月02日の3日間は診療所のドアーを解錠し、通常通りに診療をしました。

 

上皇陛下は令和元年12月23日で86歳になられた。御譲位されたときは85歳である。そう思うと、わたしタカさんもあと15年は現役で頑張れる。狸算ではそうなる。

令和元年お歳暮の礼状にはこんな事を書きました


 前略
 即位礼での令和天皇・皇后両陛下のお姿

に新しい日本の時代の始まりを感じまし

た 雅子皇后陛下も素敵でした 真に「日

本国の象徴」です アベちゃん歴代最長首

相です 後世に名を残す名宰相(世界のシ

ンゾウ)を目指し一層の活躍を期待します

期待の与田ドラゴンズは定位置の5位に終わる
     

2.東京オリンピック2020の聖火ランナーに応募する

    人生は多彩でなくっちゃ

 7月の中旬から聖火ランナーの一般公募が始まった。勿論応募した。

「日本コカコーラ」「トヨタ自動車」「NTT」「日本生命」そして「岐阜県」と5ヶ所の応募先全てに応募した。何といってもこの八百津町に「聖火リレー」がくるのだ。ランナーの端くれを自認するタカさんとしては「いの一番」に応募した。そして12月の結果発表を神妙な面持ちで待つこととした。

勿論応募したその日からイメージ・トレーニングならぬ実地トレーニングを開始した。芦度の消防詰所から人道の丘の杉原千畝モニュメントまでを何度も聖火を掲げているつもり、未来を見据えているつもりでトレーニングを重ねた。

 何の根拠もないが、漠然と当然選ばれる1人と信じてランニングに精進した。少なくとも選ばれたが、「ランニングは出来ません」と断る事態だけは避けたい。沽券に関わる。

明鏡止水の心境で心穏やかに最終決定を待つことにした。

 

タカさんのエッセイ(WEBLOG)に詳しく掲載した。

 

12月16日(月曜日) 

午後の報道番組でオリンピックの聖火ランナーが決まったという発表をしている。岐阜県を走る芸能人・有名人・スポーツ選手の名前が公表されている。メールを開いてみる。中日新聞WEBをみる。が、一般公募の話は記載されていない。メールも届いていない。一般のランナーは25日以降に各個人に通知されるらしい。

 

岐阜の聖火リレーのコースと詳細ルート・4月4日(土)

 

中津川市 馬籠宿駐車場→馬籠展望広場

中津川市 花戸町交差点北→ 中津川駅

多治見市 虎渓公園→虎渓用水広場

八百津町 国道418号線芦渡消防詰所→人道の丘公園モニュメント

郡上市 郡上市役所→郡上八幡駅

高山市 高山陣屋前広場→高山駅西交流広場

 

岐阜の聖火リレーのコースと詳細ルート・4月5日(日)

 

下呂市 旧下呂温泉病院跡地→下呂交流会館

各務原市 岐阜かかみがはら航空宇宙博物館→岐阜県グリーンスタジアムホッケーコート

関ケ原町 関ケ原ふれあいセンター前→笹尾山山頂

大垣市 大垣公園南→奥の細道むすびの地記念館

羽島市 岐阜羽島駅北→羽島市文化センター

岐阜市 岐阜市歴史博物館→岐阜城天守閣

(金華山においてロープウエーによる聖火リレーを予定)

岐阜市 信長ゆめ広場→岐阜メモリアルセンター芝生広場

 

岐阜県の芸能人・スポーツ選手・有名人の聖火ランナー 一覧

  • 竹下景子:66才・女優
  • 日比野克彦:61才・アーティスト
  • 伊藤英明:44才・俳優
  • みやぞん:34才・ANZEN漫才
  • 紺野美沙子:59才・女優
  • さくらジャパン:ホッケー女子代表

 

12月20日

潮見の90歳の柘植さんが聖火ランナーに選ばれたことが中日新聞に掲載された発表された。柘植さんはきっと一般で選ばれたランナーだろう。そうすると各個人に通知があったのか。が、私には届いていない。ひょうっとすると外れ?

12月25日(水曜日)

合格通知を待つ受験生の面持ちでパソコンの前に座っています。朝から何度もメールを見ます。が、通知はありません。

12月27日(金曜日)

 選ばれなかったのは返す返すも残念である。生涯ランナーの1人の記録として残したかった。が、選ばれなくても当たり前です。その事に無念さはあまりない。決して負け惜しみではありません。聖火ランナーに立候補するだけの実績を積み重ねたという事実、そして選出されたいという意欲を持つことが出来たことを素直に喜びます。この25年間常道を逸したほどにランニングに打ち込んだという自負はある。その限りなき挑戦が出来ただけで満足です。未練がないといったら嘘ですが、大きな大きな肩の荷も下りた。

  私の人生は収穫の秋・酣(たけなわ)です。

 

 3 ウルトラマラソンへの挑戦も終焉を迎える

                望んだ結果ではないが収穫の多い結末

一種独特の雰囲気を味わう

散々のことを経験し生きる素晴らしさを再認識

  本人は満を持したつもりで9月に丹後ウルトラ100キロに参加しました。10月には本当の集大成の心つもりで「世界にたった1枚のティシャーツ」を手に入れようと四万十ウルトラ100キロに出場しました。2つのレースは共に「収穫すべき時期」だった。

丹後ウルトラマラソン   50キロで収容

9月15日(日曜日)     快晴     32℃ぐらい

 暑かった。兎に角暑かった。スタートから絶不調です。脚がまるっきり挙がらない。七龍峠に向かってリアス式海岸を上るのだが、私はブービーです。大会のギブ・アップ収集車がすぐ後ろに着いている。不愉快極まる。5キロを48分。10キロを1時間20分です。最後尾です。40キロ走って網野に戻ってうどんを食べる。これまでは、ここの急速とうどんで気力を回復した。「さあ!気合いを入れて走るぞ」と掛け声を掛けるも体は全く離反してしまいました。その後は立っているだけで汗の噴き出してくるコースを歩いたり、歩いたりで全く距離を稼げません。次の53キロの関門の手前で「乗りませんか」「もう関門の通過時間を過ぎていますよ」とワゴンから声を掛けて貰う。待ってましたとばかりに飛び乗る。車内には数名の同志が乗っていました。クーラーが心地よい。会場まで帰ってきてビールを飲んでいると「佐藤さん」と後ろから呼びかけの声が聞こえる。振り向けば多治見の星崎さんだ。野辺山ウルトラ100キロで「デカフォーレスト」の称号を持つ憧れの人だ。40キロでリタイアーだそうです。同年齢です。70歳は誰にとっても大きな、大きな壁ですね。実感する。このコースに4回挑戦して初めての途中棄権です。

こんな経験が人生に厚みと深みの味付けをする。

 

四万十ウルトラマラソン  14時間02分で完走?

勿論大会規程の宣言時間は14時間です

10月20日(日曜日)     快晴        27℃

これが最後と決めたウルトラ100キロである。丹後の不消化のままでは終われない。そう決心したタカさんはこの1ヶ月はトレーニングを積んだ。100キロ/週は最低のノルマとしてトレーニングをした。日曜日には40キロ前後を走った。しかし本番前に「60キロ走」が出来なかった。悔いがあるとすればそれだった。

詳しい記録はエッセイ(WEBLOG)の「四万十ウルトラ100キロ漫遊録」に記載した。参照して頂ければ幸いです。

土曜日午前中診療をした。午後5時半過ぎの飛行機で高知に向かい、四万十のホテルに伝いのが午後10時30分過ぎ。おにぎりを食べて寝たが、目覚まし時計の誤作動で午前0時に起きてしまう。

結局殆ど睡眠なしでスタートラインに立った。迂闊にもスタート前に芍薬甘草湯を服用するのを忘れた。疲労困憊の最後の5キロでこそ、「オタスケマン」の「ブドー糖」を積極的に摂取すべきタイミングだったがその余裕がなかった。ゴール寸前では意識がはっきりしないままである。写真を見てゴールしたのだと分かった。しかし、14時間の制限時間は過ぎていた。当たり前のことであるが無常である。14時間で2分は、720分の1の遅れである。何度も書きますが、悔しくはありません。己の努力の至らなさを再認識し、70歳、人生の黄昏を意識しました。

フランスの偽善作家アンドレ・ジイドを真似るわけですが、「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」聖書 ヨハネ伝より

 私は9月、10月のウルトラマラソンに果敢に挑戦して、苛烈に散華した自分の挑戦を紐解くとき、多くの実を結んだと断言出来るものがある。

 

それでも後日談

その①

月曜日の夕方(制限時間外完走して22時間後)採血検査をした。その結果を見て私の戦いの凄まじさを知った。今だからこんな他人事のように掛けるのだが、ファックスで返事が返ってきたときは、一瞬も、二舜も目を疑った。何が体で起きていたのか分からなかった。咄嗟には理解出来なかった。

9月のデーターと比較して

貧血の進行

総ビリルビンの上昇

トランスアミラーゼの上昇

BNPの異常上昇

CPKの異常上昇

炎症反応のCRPも上昇

どれも経験したことのない値だった。

 これまでの経験でウルトラマラソンを走ると軽度の浮腫の出現とBNPの軽度上昇、CPKの異常上昇を認めることは承知していた。歯科医こんどはそれだけではないのだ。総ビリルビンが浄書し、GOT、GPTが上昇している。

肝機能障害があったのか?

落ち着いて、冷静になり、金曜日の午前中に再度採血検査をする。

土曜日に、結果が届く。

全ての値が落ち着き始めている。

足の裏で赤血球を踏みつぶすことによる溶血性貧血そしてその炎症反応

心臓への過度の負担によるBNPの上昇

激しい運動による骨格筋細胞の障害によるCPKの異常上昇

ということで解決されたが、これまでのウルトラでここまで異常値を示したことはない。

「限界だ」という危険信号が体の細胞レベルで絶叫された事の証である

私に残された返事は「諾」のみである。

 

その②

 ちょっと残念なことが続いたが、素知らぬ顔でランニングを続け、男の躊躇いもなく絶不調など何処吹く風で生きていくはずでした。その予定でした。が、人間は脆いものです。

11月10日(日曜日)   揖斐川マラソン

孫のお宮参りだという理由で出場を止めてしまいました。これまでならば辞めるとしても結構逡巡したと思う。悩んだでしょう。日にちを換えてよと申し込んだと思います。

が、すんなり「ハイ!ハイ!」と乗り換えてしまいました。未練も何もありませせん。

17日(日曜日)    人道の丘ジョッキング大会

弘前大学の学生から今までずっと親交の続いている同級生が入院して手術をすることになった。メールで励ましたり、貶している間に見舞いに行きたくなってきた。そして人道の丘ジョッキング大会を欠席して弘前に見舞いに行きました。

 孫のお宮参り、親しい友人の見舞い、ランニング大会より比重が重いですよね。でもこれまでの私だとどちらかのランニング大会には出場していたなぁと省みています。

 

12月8日(日曜日)   袋井クラウンメロンマラソン大会

 4.5日前からチョット風邪気味でした。咳が出ました。喉も痛かった。大事を取ってホテルをキャンセルし欠場しました。

 

12月22日(日曜日)    金の鯱 名古屋城周遊ランニング大会

この大会は出るつもりでした。前日までそのつもりで準備し用意していました。が、その日の朝眼が覚めたら出発予定時間を越していました。間に合うのだが、どうしても車に乗る気になれません。

この心境の変化を、振る舞いの激しい振幅の変化をどう表現すべきか

小人閑居して不善を為す

違うね

墜ちてくるナイフを掴む奴はいない

違うね

坂道を転げ始めたら誰もつっかい棒をする事は出来ない。墜ちるに任せろ

これだ

奈落の底に墜ちてこそ救いの途も自ずと現れると信じている。

                     脱稿     令和元年  12月29日

 

 

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