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TOKYO2020  その3  開催決定前夜

2013年9月7日

ブエノスアイリスで開催されているIOCの総会で2020年の夏季オリンピックの開催地は東京に決まる。これで、消費増税も受け入れられやすくなる。五輪招致を「アベノミクスの第4本の矢」として十分に利用して、日本の景気回復の4本目の杭にする。安倍首相の本音は増税延期だろうが、五輪を誘致できた事で風向きは変わるだろう。シリア空爆による世界経済混乱が軽微であれば、5%から8%への増税を飲まざるを得ない(受け入れても充分に落ち込みをカバーできる)のではないか。日本が再浮上する大きなきっかけになってほしいものだ。

9月6日

日本は3連敗中である。えっ? なに? それ? 知らないでしょうね。説明しておきます。

名古屋(ソウル)・大阪(北京)・東京(リオデジャネイロ)の三段跳びもどきを紹介します。

まず話の始めは、「1988年」の開催地決定です。期日までに、立候補したのは、実は名古屋だけだった。この頃、オリンピックはまだ、(1976年に開催したモントリオールがその後財政的に破たんしたことでもわかる通り)開催都市にとって「儲かるイベント」ではなかった。オリンピックビジネスが勃興するのは1984年ロサンゼルス五輪以降のことである。他に対抗馬がないのだから、名古屋で決定だったはずです。「世の中何が起こるが分からない」典型みたいな事が起こったのです。締切翌日になって、ソウルが立候補の意志を表明。しかも信じられないことにIOCはこれを受け付けたのだ。結果、名古屋とソウルの一騎打ちになり、油断大敵の名古屋は思わぬ伏兵にやられた。

 こんなエピソードを聞いたことがある。勝利を、不戦勝を確信していた名古屋な招致運動に熱を入れてこなかった。その決定会場には英語の全く話せない政財界のお歴々がJOCの、名古屋市の招待を受けて大勢参加していた。しかし、流暢な英語を話し、豊富な知識で全身武装した官僚が、担当者がいなかった。会場の外には、名古屋オリンピック開催反対を叫ぶ団体がデモンストレーションを行っていた。しかも流暢な英語を、フランス語を駆使して開催反対を叫んだ。IOC委員は名古屋開催に「?」を感じてしまった。対抗馬は、最後の最後、〆切り後にに飛び込んできた「ソウル」ではあったが、ソウルに投票する委員が続いた。韓国は完全なルール違反である。2002年、日韓ワールドカップの時もルール違反だ。全くずるい国だ。お国柄だから仕方ないね。今(2019年7月 半導体輸出規制やホワイト国除外問題でも自分勝手なだけ)もその延長だからね。なんであれ、油断した日本が、名古屋が余りに愚かであった事は確かだ。ステップは、2008年の招致合戦である。2008年大会の招致合戦では大阪は北京に負けた。6都市のうち最下位だった。勝負にならなかった。

ジャンプ

実は東京は2016年の大会にも立候補していた。負けました。負けたからこそ4年間地道にIOC委員を接待し、買収し続けたのである。今年6月オリンピック開催前年に辞任した武田会長は悔しいだろうと想います。

 最後に個人的な思い出も交えながら記せば、この手の話題をするとき、23年前のチューリヒを思い出してしまう。1996年5月31日、「2002年ワールドカップ」の開催地はこの地で決まった。本来、開催地が決まるのは6月1日。しかし5月30日夜、突然「共同開催」の提案が日本側に伝えられる。そして翌31日、投票さえ行なわれずに、日韓共同開催は発表されたのだ。「ワールドカップは一ヶ国での開催」というFIFA規約さえ無視して。あの日の理不尽さは、なんだったのだろう。 国際舞台では何が起こるかわからない。闇の中の魑魅魍魎の世界だよ。日本の政界は「一週先は闇」だと言われるが、世界は「決定も容易に覆る阿修羅の世界」。

G20の最期の会合を中座して、ブエノスアイリスに飛んだ安倍総理はIOCの総会会場で高円宮妃久子と共に各国代表に挨拶して回る。最後の最後の努力です。「東京五輪へ」阿部首相が最終プレゼンすをする。切り札である。汚染水問題クリアする(BE UNDER CONTROL)真摯な態度が受け入れられる。阿倍さんの政治家として優れているところは自分の過ちはおろか、まわりの失敗も自分の反省材料とするだけの器量の広さです。「阿部1強」がいつまでも続くのも、オリンピック誘致が成功したのも、トランプ大統領との固い絆の蜜月を構築出来ているのも、大きく反省して自分の長所として取り入れる「器量よし」だということです。

9月8日  勝利の旨酒に日本中が酔っています。

勝ちました。経済効果は3兆円(?)といわれていたが、今朝は100兆円だという声も出てくる。7年後を見通せる経済効果というのが大きなポイントである。

滝川クリステルの左手のオ・モ・テ・ナ・シが素晴らしい・そして両手を合わせてましたね。今年の流行語大賞候補ですね。

高円宮妃殿下の演説も素晴らしかったそうです。

「2020年東京大会を開催することで、私たちは希望を創り出していく」「未来を担う子供たちのために夢と希望を与え、被災地の復興をさらに加速させていく

9月10日

「五輪はアベノミクス第4の矢に」 甘利経済再生相 

「すごい勢いで東京吸収が始まる」 河村・名古屋市長

9月17日

五輪ファシズムが国を滅ぼす。・・・そんな拗ねた記事を各新聞もありました。

これから、7年間この話題を楽しみましょう。

以上は、私の日記の文章に少々補筆をしたものです

以下は私が友人に宛てた手紙です。

内容は重複するかもしれませんが、その興奮を伝えるメールが見つかりました。これがその時の私です。目を瞑るとその時の興奮が彷彿としてきます。

 

お早うございます。

興奮しましたね。

ちょうど5時に起きてテレビジョンのスウィッチを押しました。

ブエノスアイレスからの実況中継です。みんなが万歳を叫んでいました。

と書きたいところですが、寝過ごしてしまいました。起きると、0515分でした。

寝る前のテレビの画面は「2020年オリンピック開催都市決定」だったのですが、

今は「2020年、東京オリンピック決定」と映し出されています。

安倍総理の笑顔が、猪瀬東京都知事の安堵した顔が、滝川クリステル、太田雄貴の「やった!」という満足感にあふれた顔が次々と映し出されています。

やがて開票結果が発表されました。

第一回投票      東京42  イスタンブール=マドリッド23

最下位決定投票で   マドリッドが消えました。

第2回決戦東京      東京64  イスタンブール33  

混戦だといわれていましたが、圧勝でした。

安倍総理の努力が大きかったですね。

東京・・サンクトベテルブルグ・・ブエノスアイレス・・東京の強行軍ですからね。

 最後になって汚染水問題が取りあげられ、韓国がこれ見よがしの輸入禁止措置発表があり心配しました。何せ、名古屋がオリンピック招致に立候補した時には、〆切後の、立候補だったのですよ。それをIOCにのませた。名古屋とソウルが立候補し、当然ソウルが勝ちました。2002年、日韓共同開催のワールド・カップ決定の折には投票日の2日前に、日本になんの相談もなく「日韓共同開催」構想が発表され、投票もないままに決定されたのです。今回も韓国の裏工作の巧みさを怖れました。

兎に角、よかった。よかった。

成果としては、オリンピックが来る・・・国の、国民の新しい目標が出来ました。明るい未来に対する7年後への期待です。みんなが笑顔でその喜びを分かち合える大きな目標が出来たのが嬉しい。そして、フクイチの処理も政府が責任を持って処理をする。と世界に向かって発表し、公約としました。ふたつの大きな成果を手にしました。

 ここからが本題です。7年後、私は71歳です。多分まだ走っています。マラソンの選手に選んで欲しいのですが、それは絵空事というよりも狂人の誇大妄想に過ぎません。それくらいは分かります。そんな夢の又夢ではなくて「聖火ランナー」を勤めたいですね。JOCに頼み込みたいですね。聖火ランナーならばまだ勤められそうです。一緒に走りましょう。

野球も復活するでしょう。ソフト・ボールも・・・・7年後に向けて夢が膨らみます。

誇大妄想狂の診断も間近なタカさんからでした。

                        令和元年7月29日  脱稿

 

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