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tokyo2020 これから注目したい競技・あれこれ

 

 

2020年東京オリンピックで応援したい競技・・・

2月の下旬 中居正広の「身になる図書館 スポーツ 号外スクープ狙います」で2020年東京オリンピックの競技(知名度は低いが、一般的ではないが・・・)を紹介していました。非常に面白かった。

折角のオリンピックである。都合が付けば観に行きたいものである。かと言って、男子体操とか柔道を観戦たいと思っても叶うことはあるまい。国立競技場にも行きたいが、男子100メートルの決勝なんて「思うことすら無意味」的な存在である。兎に角それほど一般的ではないが、これからファンになって競技ルールを覚えて楽しめそうな競技の紹介という事なので観た。

チョット勉強します。

その 1 クライミングスポーツ

競技は3種目ある。

スピード     高さ15メートルの共通ルートをでピードを2人で競う

ボルダリング   5メートル以下の壁を「登った数」を競う

 落ちたら登り直して良い

 日本人が得意としている

リード      歴史の古い競技

         

10メーオル以上の高い壁を時間内に「何処まで登ったか」を競う.

 途中で落ちたら終了

3種目合計で争う

日本はナショナルランキング 5年連続首位

出演していた選手は尾川とも子  日本のパイオニア  Green Piton 賞受賞(日本人女性としては初めての受賞)

手の、手の指先を酷使する。使い続けるので手が真っ直ぐ伸びない。手が握れない。神社で「柏手」を打てない。手を縦にした「拍手」が出来ない。何のことか始めはよく分からなかったが彼女が手を合わせると大きな空間が出来る。ではどうするか。?

両手の肘を曲げて手首を伸ばす。そして指先を180度反対方向向ける。そして、拍手するのだそうです。左手が下だそうです。拍手が出来ないという言葉の意味が分からなかったが、説明を受けて背中に軽い戦慄が走った。

聞く話はもっと凄かった。海外遠征は半年間、その殆どをテントで泊まった。半年間の海外遠征で必要な費用は30万円ぐらい。飛行機代、宿泊代、食費併せての総額です。

 爪楊枝の大きさの引っかかりがあれば体を支えられる。男子のトップ選手は小指1本で懸垂をする。

男子   楢崎智亜(ナラサキトモア)  クライミング王者 2016

     藤井 快(ふじいこころ)   ワールドカップで優勝あり

 

女子   野口 啓代(のぐち ひらく) 世界のクライミング女王

     野中 生萌(のなか みほう) 2018年 年間チャンピオン

 

とんでもないハングリーで、極限のスポーツなんだと分かった。

その 2  近代五種  モダン ペンタスロン

 

フェンシング(エペ)→水泳(200m自由形)→馬術(障害飛越)→コンバインド(射撃&Run)を1人の選手が1日で競技しその総合得点を競います。

1912年ストックホルムオリンピックから正式種目・この大会は、現在NHKで放映中のテレビ大河小説「韋駄天」の三島と金栗が日本人として初参加のオリンピック大会です。

欧州では人気のスポーツであり、子供達の憧れの的

女子

黒須成美 ロンドンの代表選手

朝長なつ美 リオの代表選手

男子

三口 智也  リオの代表選手

余りに過酷すぎで競技人口が少ない。

競泳 200メートル自由形、

フェンシング  1試合1分の試合を総当たりでやる

馬術(障害飛翔) 馬術の馬は当日抽選で決まる。自分の馬に乗るのではない。

射撃とラン・・10メートル先の的に10発当てて800メートル走る  x10回

これだけの競技を1日でやる。

朝の6時から夜の11時過ぎまでトレーニングをしている。

競泳の選手が練習場のプールに着いた頃には近代五種の競泳の練習は終えている。

 

 

やるのも辛い。見るのも辛い。そんなスポーツが、オリンピック競技の中にある近代五種である。 日本の競技人口も極端に少ない。40人。もっと多いように思いますが、日本選手権に出場する選手の数です。近代オリンピックの父・クーベルタン男爵が古代アテネオリンピックの五種競技にならい考案・創設。 その歴史と過酷さゆえに、欧米では「キング オブ スポーツ」と呼ばれているが、日本における知名度の低さは、もはや「キング オブ マイナースポーツ」。

東京2020オリンピックではメジャーになる。その言葉を信じて、日清食品は、近代五種を応援することに決めたそうです。

ペンタウルス君って知っていますか? 日清食品の近代五種応援キャラクターですが、はっきり言ってグロテスクです。だから話題にのぼる。記憶に残るかもしれませんが、マスコットとは言いがたいものがある。「ペンタ」は、ギリシャ文字の「5」です。「ウルス」はケンタウルスから来ています。

 

その  3  ホッケー

選手は11名  さくらジャパン

小野真弓   湯田葉月

ボールは大きくて堅い。

 

その 4  サーフィン

五十嵐カノン

  超美男子、男が男に見惚れてしまう.引き込まれてします。

  これはやばい

 

 

 

その  5  その他 ギリシャ文字の読み方が着いた競技 あれこれ

 

A  デュアスロン(2009年10月 第2回大会)

  弘前市で行われた「アップルロード・フル・マラソン」+「岩木山百沢神社からの岩木山登山」

これまでに一回行われただけである。

 鵬鳴ヒュッテからの最後の登りはは大雨に襲われる。風もひどかった。嶽コースを下山して弘前市に戻ってきたのは午後11時過ぎである。

参加者は野々村修・高橋堅・現役山岳部員菅野君・そして佐藤孝充

岩木山登山には山岳部の現役部員も数名参加した。

 

最初、ハーフマラソン+岩木山登山(弥生コース)で行われたがチョット物足りないという意見があり「フルマラソン」に変更になった。

この時の詳しい状況は最後の登山記録参照

 

B トライアスロン

 水泳+自転車ロード・レース+ランニング

 1974年、アメリカで始まった比較的新しい競技である。

 2000年のシドニー大会からオリンピックの正式種目となっている。

 

C 近代五種 競技 モダン・ペンタスロン

1912年・・クーベルタン男爵の提唱によって始まった競技。

余りの過酷さに、競技の難しさに競技人口は少ないが、欧州では「キング・オブ・スポーツ」として憧れの的でもある。

ロンドンオリンピックに黒須選手が始めて参加した。男女の競技である。

 

D 十種競技  デカスロン

  男子のオリンピック種目で、第1日に100メートル走、走幅跳び、砲丸投げ、走高跳び、400メートル走、第2日に110メートルハードル、円盤投げ、棒高跳び、槍(やり)投げ、1500メートル走をこの順序で行う。2日間で10種目をこなす体力とオールラウンドの運動能力が必要で、勝者には「キング・オブ・アスリート」として、最大級の賛辞

 

E 7種競技  ヘプタスロン    オリンピック競技ではない

高校生の女子以上の競技

   十種競技のデカスロンに相当する英語名はヘプタスロン(Heptathlon)。

 

                                         平成31年3月30日脱稿

大切な蛇足

朝の連続テレビ小説「まんぷく」が今日で終わりました。インスタントラーメンの製法を発明した安藤百福の波瀾万丈の苦労の物語りでした。安藤さんは日清食品の創始者です。テレビのドラマでは「立花萬平」(演じたのは長谷川博己)でした。奥さんの福子さんは安藤サクラさんが演じました。次から次に湧き起こってくる難題に不屈の精神で立ち向かい解決していく面白いドラマでした。毎朝この番組を観るのが楽しみな半年でした。個人的には、一作前の「半分青い」の方がスキだった。見逃すと何が起こってそうなったのが分からない面白さがあった。舞台も岐阜県恵那市だったし、「五平餅」がクローズ・アップされたしね。

オリンピックとは何ら関係がなさそうですが、日清食品が極限のスポーツ近代5種の公式スポンサーなのです。

資料

 第1回デュアスロン大会完走記録

 平成14年10月13日 (日曜日)  快晴

野々村・鈴木の死闘は、第一ラウンド(10キロ・ロードレース)は、野々村42分、鈴木 49 分と野々村の圧倒的勝利でした。

野々村と鈴木は昭和44年、弘前大学山岳部入部の部員である。つまりタカさんと同じ年の入部である。永遠のライバルである。共にお互いを充分に意識し、競い合っている。それが卒業して30年も立つのに競い合っている。不思議な2人である。「ドングリの背比べ」ではなく「龍虎」の2人である。


第2ラウンドは、先週御嶽山の山岳トレーニングを積んだ野々村・・一方、ボルネオはコタキナバル山登山で充分な順化をしてきた鈴木の嶽コースの駆け下りとなったのですが、これは、31分という驚異的なタイムを記録するも決着つかずです。
 
弘前運動公園には、0735分頃到着、快晴無風・岩木山が綺麗です。とてつもなく綺麗です。太宰治や葛西善三がなんと言おうと、この山は好きだね。城東からの岩木山を眺めるとチョウサンのアパートに足繁く通っていた時代を思い出す。人生をもがきながらお互いに求め合っていたのかなぁ。俺にもう少し勇気と情熱があったならば違う人生を選ぶことも出来たかもしれない。辛い思いを強要させてしまったのかな。男として若干のふがいなさを覚えつつも、懐かしさも一入だ。しかし、それは間違っているね。思い出に入り浸ってはいけない。思い出は、苦しかったこと反省すべきことをセンチメンタルとノスタルジアという真綿で覆ってしまって鋭角な部分がなくなってしまう。辺りを見回すが人影はない。私の心の中で誰かが「黒の舟歌」を口ずさんでいる。

頬を叩いて「喝」を入れる。 いいなぁ 今日の午後にはあの頂にものぼるだ。
0900号砲一発    
 急な催しトラブルをなんとか切り抜けて、それから盛り返そうとしたのですが、脚が動かない。それに午後の部も気になる。快晴の津軽平野を快適に走る。タイムは、遅かった。1時間59分です。フル・マラソンのハーフの折り返しより10分以上遅いのだよ。疲労感甚だしいですね。先週の疲れが残っている。


1310分・・弥生の林道の終点から登り始める。ブナ林が気持ちがいいですね。ドングリも沢山・・・こうした月並みの表現は似合わない程にしんなりする豊かな気分の山登りです。
百沢の登山道よりは登りやすい・・堅に言わせると随分と良くなったそうです。1450分に弥生の姥石に到着する。ここで、小林が脱落する。次いで小生もダウンです。
最後のone  pitchで野々村・鈴木・堅・健介と小生とは10分差・小生と小林とは、10分差です。

帰路は全く問題になりません。彼らは飛ぶが如くに駆け下りてしまう。あっという間に視界から消えてしまう。嶽コースです。
駐車場から野々村・鈴木・堅・の3名は30+α分で降りきる。
我々は、小林とを監視という建前で、1時間10分です。この差は歴然として大きいです。
弘前に辿り着いたのが、7時ですね。

宿敵、野々村と鈴木の戦い
火花は前日の晩、現役を交えての交歓会の折から始まりました。
堅が現役の前でけしかけるので、俺はこれ以上の確執(と言うほどではないが・・)は好まなかったので、なんだかんだと話題をそらすのですが、そこへ戻ってしまう。
鈴木は、コタキナバルでキナバル登山をしてきたそうです。
「この前10km走ったら脚が痛くてしょうがなかった。」
「前回、8年前の「アップル・マラソン」の時は43歳だったので43分だった。」「今年は51歳だから51分で充分です。」「」このくらいなら走れそうです。」
野々村曰く
「昔からこいつ(鈴木と言い直す)には勝ったことがない」
「何とかして勝ちたいものだ」
すかさず、鈴木が口をはさむ・・・。
「1回だけ有るじゃない」
「それは記憶にある・・・」と野々村がその時の状況を告げる。
あっ!あっ!!  明日が怖いと思いつつ酔っぱらって寝てしまいました。
さて開けて13日です。第1ラウンドの結果は野々村の完璧なる勝利でした。
その結果に本人は殆ど満足していないのですが・・・。40分を切って勝ちたかったようです。
岩木山には、野々村・鈴木・現役の健介が2時間40分ぐらいで登りました。私は最後の岩鬼山の突き上げでばててしまい、50分でした。小林は、3時間ちょっとでした。
その下りです。これが第2ラウンドです。
私の発言と堅の行動が軽率でした。
その事には帰りの飛行機で野々村に指摘されるまで考えても見ませんでした。
スカイラインの駐車場から嶽のバス停まで31分で駆け下りてしまいました。
駆け下りたというより飛び降りたという表現の方が正しいぐらいかな・・
何かに憑かれたように、鬼に追われるが如くに脱兎の如く、韋駄天の如く岩木山に3人は舞ったのです。
僕の不用意な・心ない発言とはこうです。
私は野々村と堅に向かってこう指示を出した。自動車が弥生に2台(堅の車と鈴木の車)有るから、鈴木に鍵を借りて野々村と先に降りろ」「俺たちはゆっくり降りていくから嶽神社あたりで合流しよう」
そんなに人を傷つける言葉だとは思わなかったよ。
が、その言葉にめらめらと怒りの炎が鈴木の心の中で燃え上がり始めたのですね。
3人で我先にと降り始めてしまいました。俺と小林は1時間10分掛かりました。

鈴木にそんな悪意を持っての発言ではありません。
トレーニング量・午前中の結果・言葉の端端の自信から野々村と堅がベストだと思って推薦したのですよ。でも大きく彼を傷つけてしまいました。
ちょっと、大きく反省しています。
私だったら、良きに計らえなんですがねぇ・・・彼奴らにはまだまだ燃えるものがあるのだね。

因みに小生の20kmのタイムは1時間59分でした。堅が、47分、小林が55分でした。一番、ずるがしこくて、いけない子は佐藤君でした。

 第2回デュアスロン 完走記録

 平成19年10月7日 (日曜日) 快晴

午前9時スタート岩木山登山のことを考えてセーブです。そして現役山岳部員でフルマラソン初挑戦の菅野君とは、9KMから39KMまで一緒に走りました。快晴の津軽の径を楽しく走れました。岩木山はずっとよく見えていました。柴涸沢も、見た。大沢も直登沢もね・・まだ紅葉には早かったが、楽しかったよ。
走り終わってあの山にまだ登るのかと思ったらチョット怯む時もあったが、天気はよいし、気軽なものでした。
39キロからは走りました。汗が出るほどに走りました。ゴールインすると楠美とジュンが出迎えてくれました。
1600百沢神社の登山口を出発です。もの凄いペースです。カラスの休み場で小休止をし、次は焼け止まりのヒュッテです。1時間30分経過です。フル・マラソンの体にはチョットこたえました。ここで、完全な日没です。雨が降り始めました。ルートもチョット間違えました。暗闇の怖さですね。風も出てきました。さっきまでの快晴とは裏腹の天気の急変です。鳳鳴ヒュッテは1845分ぐらいですかね。

全員カッパ雨具を着用していましたが、私はジャージでガマンしました。頂上は、登頂気分を味わうには、チョット厳しかったですね。横殴りの雨・雨・雨です。パンツの中までびっしょりと濡れてしまいました。鳳鳴に戻ってくるのに手間取りました。ヘッドランプの電池きれ、故障などが相次ぎました。転倒がなかっただけよかったですよ。2100分 8合目のスカイラインの駐車場を出発。・・ここから堅が猿飛佐助に変身です。2148分に岳温泉に到着したそうです。そこで迎えの中村君と合流した。最後尾の私が到着したのは2250分です。

疲れました。雨風は鳳鳴から上だけでした。それにしても堅は強い。野々村も強い。が、現役の「菅野」という男はもっと強い。たいした練習もなしに「フルマラソン」を5時間15分ぐらいで完走しました。その脚で、岩木山に登りました。バテることもありませんでした。馬力だけの男ですが、その底力は恐るべきものがありますね。ホテルに戻り、暖かいお茶を飲んで、冷たいビールを流し込むと腹ワタに沁み込みました。

「持って行くのを忘れた」と猛烈の雨・風を前にして途方に暮れ、防寒体制を諦めたゴア・テックスの雨具はザックの一番下にたたみ込まれていました。これが有れば体が寒さにがたがた震えることはなかったのだが・・・。

 

 

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