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2歳児行方不明(神隠し?)と超能力者?

<<2歳児行方不明(神隠し?)事件の顛末>>

 

事件が起きたのは平成30年8月12日(日曜日)の午前中です。場所は山口県周防大島町です。行方不明になったのは藤本理稀(よしき)君(2歳)。家族が理稀君の姿が僅かの間に見えなくなってしまったと困惑しながら捜索願を出したのが、その日の午前11時30分頃のことである。誰もがすぐに見つかると思っていた。警察、そして消防団が大勢で探せば、山狩りをすれば発見されると信じていた。が、その日には見つからなかった。翌13日には、捜索範囲を拡大し、捜索人員も増加して辺り一帯をしらみつぶしに探した。「万が一」ということを考えて家族も警察も緊張と不安が入り交じった。14日になっても目撃情報すら届かなかった。所謂「神隠し」状態だった。雨も降った。真夏で体力の消耗もある。何といってもまだ満2歳である。楽観が焦りに変わり。焦りが焦りの色が濃くなり始めた。夏とは言え3夜をどこでどうやって、過ごしているのだ。一体どこにいるのだ。募る不安の中、3日目の朝が空けた。焦燥と疲れと、そして頭を持ち上げ填めた諦めムードの中に、1人のボランティアの老人が九州からやってきた。奇抜な格好である。いがぐり頭に真っ黒な顔(実に見事な日焼けである)赤いタオルのねじり鉢巻き、百戦錬磨の経験豊かな不思議な感じのする老人である。そんな印象だ。「真摯なボランティアの風情」は感じられるものの、半信半疑だったと思う。何に半信半疑だったかというと「私が理稀君を探し出して、直接お母さんに渡します」という尾畠さんの確信に満ちた発言である。尾畠さんの超能力的行動の一部始終を報道で知ってしまった状況でこの文章を書いているのだから、ある程度差し引いて考えるとしても、彼が現れた時はどんな気持ちだったのだろう。変な人(?)が現れたと半信半疑だが、藁をも掴む気持ちだったろうから必死の思いで「宜しくお願いします」と頼んだ。警察や消防団の捜索以上に彼の行動を信頼したわけではないだろう。

「神っている

一昨年の流行語大賞そのものの人がいるのですね。

驚き!!(おどろき・もものき・さんしょのき)

称賛!!ただただマーベラス!!!

超能力者

霊感者!!!

インスピレーション!!

 しかし、誰もが、その現場にいた誰もが「想像だにしなかった」ことが起きた。

 報道記事をそのまま引用すればこうだ。15日午前6時すぎに山に入り、理稀くんがいなくなった場所から歩いておよそ15分、距離にしておよそ600メートルほど離れた山の中の沢で「よしくーん」「よしくーん」と理稀くんの名前を呼ぶと、「おじちゃん、ここ」という声が聞こえたということです。尾畠さんが声の方向へ進むと、沢の近くの石に座っていた理稀くんを見つけました。

尾畠春夫さんは、新聞で理稀くんの行方が分からなくなっていることを知り、大分県日出(ひじ)町から軽ワゴン車で駆けつけ14日、山口県周防大島町を訪れて捜索活動に加わったそうです。全国各地の被災地で活動してきたボランティアのベテランだった。

謎の人物(??)尾畠さんとは

 尾畠さんは10数年前、商売の魚屋さんを辞めた。そして何か世の中に恩返しをしたいとボランティア活動を始めた。それからボランティア活動に力を入れ、東日本大震災などの被災地のほか、先月(平成30年7月)の豪雨で大きな被害を受けた広島県呉市でも復旧作業にあたりました。行方が分からなくなっていた藤本理稀(ふじもと・よしき)くんを発見した大分県日出町の尾畠春夫さん(78)は8月15日午後、報道陣の取材に応じ「尊い命が助かってよかったです」とうれしそうに話しました。

各地にボランティアとして参加

 尾畠さんは2006年(平成18年)、鮮魚店主を引退した後、徒歩による日本縦断の旅に出た。鹿児島の佐多岬から北海道の宗谷岬まで3ヶ月掛けて日本縦断旅行をした。その途中、南三陸町歌津でテントを干していた際、地元に住む牧野八千子さんから混ぜご飯を分けてもらった。今回(2011年)、軽自動車で3日間かけて町に駆けつけたのは、牧野さんの安否が分からなかったためだ。「一宿一飯」の恩義を返すためである。到着後に無事を知り、抱き合って再会を喜んだ。その翌日から、ボランティア活動を始めた。 震災で壊滅的な被害を受けた南三陸町に、若いボランティアから「師匠」と慕われるベテランがいる。大分県日出町から来た尾畠春夫さん(71)である。4月26日までの約1カ月間、がれきの中から被災者が大切にしている物を拾い集める「思い出探し隊」の隊長を務めた。 また、平成29年7月の九州北部豪雨で大きな被害を受けた大分県日田市の関係者によりますと、豪雨のあとも何度も被災地に足を運び、車に泊まりながら水につかった住宅から泥をかき出す作業などにあたっていたということです。 災害ボランティアの経験が豊富で、現場では、ほかのボランティアに作業のポイントを教えるなどリーダーシップを発揮していたということです。

 災害ボランティアとしての経験も豊富だが、人捜しボランティアとしても卓越した能力を発揮している。2年前(平成28年)、大分県佐伯市で母親らと一緒に畑にいた2歳の女の子が行方不明になり、およそ21時間後に山の斜面で無事に保護された際にも、捜索に参加したということです。この時の経験を生かして捜索活動に協力したいということで参加されたようである。子供が下っていくことはまずない。山を登っている。確信に似たものを懐いておられたようである。15日の朝には迷うことなく自分のインスピレーションに導かれながら山を踏み分け入り、捜索開始15分後には理稀君を大きなバスタオルにくるんで降りてきた。そして、母親に直接渡した。約束を果たした。

インタビュー記事から

記者)渡した時はどんな様子でしたか。

(尾畠さん)もーー、お母さんは声が出なかったな。よしくんを、バスタオルをとって顔を見せたんです。お母さんのあの時のうれしい顔。一生(まぶたに)焼き付いて離れないだろうな。

(記者)抱いた時に温度や体温を感じましたか。

(尾畠さん)ぬくもりなんか感じるよりも、ただ助かってよかった。助かってよかった、助かってよかった、それだけ。命があってよかったーって、ただそれだけ。お母さんに渡すまで。

(記者)目の力はどうでしたか。

(尾畠さん)目の力は生き生きしていました。(理稀くんが)「おいちゃんここだよ」と言った時、腰が抜けかかった。

(記者)見つけた時の気持ちは。

(尾畠さん)言葉で言い表せない。「おいちゃん、ここここ」って、声を聞いた時は一瞬頭の中真っ白になった、正直に言って。石に座って初めて会った時に、あの表情見た時に人間って強いなと思った。

こんなエピソードも

「私はボランティアだから、そういうのはもらえません」

 理稀ちゃんを家族に引き渡した15日、祖父から風呂を勧められた尾畠さんはそう断った。軽ワゴン車に食料や水、寝袋などの生活用具を積み込み、助ける相手側に迷惑をかけないのが信条。「自己完結するのが真のボランティアだ」と言う。活動費は自分の年金から捻出している。

 動画のインタビュー記事の冒頭・尾畠さんの左小指にトンボが止まっていました。

 この人はすごい人だなぁと思った。

 ただ者じゃないという言葉が今の一番の実感である。

 

スーパーボランティア

 とか

国民栄誉賞に値する

とか

 格好良すぎる

という称賛の声があるが・・真にその通りですね。

 

最後に

記者に座右の銘を尋ねられた尾畠さんは「朝は必ず来るよ」と答えていた。

この言葉、シビれますね。

理稀ちゃんには「人の痛み、悲しみのわかる人間になってくれたら」と話していた。

 

                        平成30年8月17日脱稿

 

蛇足

尾畠さんが超能力者なのか?それとも違うのか?その事については私の勝手な考えを書いただけである。でもそれに近い能力を持つ人がいることを私は信じている。理稀君がいそうな場所を前の晩から感じていた。だから15日朝、捜索に入ってわずが15分で見つけることが出来た。 東日本大震災の南三陸町の「思いで探し隊」の隊長としての大活躍も今回に似た状況だったのではないだろうか。

とはいうものの、あの素晴らしい日焼け、風貌からは、誰よりも率先的に、どんなことでも厭わずに、献身的に志士的活動をしている方であることは疑いの余地がない。その彼を動かす原動力となっているものに、ひょっとすると我々凡人とは違ってセンサーが、超能力が関与しているのではないか。そんな独善的な考えを書いてみました。

今朝(08月18日)の中日新聞の朝刊にこんな記事を見つけました。

不思議   妖しい魅力
  人間の想像力を刺激して芸術を産む
  理性を眩ませるオカルト
                   
 小さい頃から第六感が働く方でした。と語るのは「かしまし娘」の長女 正司歌江さん。
その日のお客さんの「入り」を当てたり、病気を予言したりして周囲から不思議がられていました。
昭和57年、当時人気絶頂の三波伸介をテレビで観ていて、その死を予言した。
こんな不思議。科学で説明のつかないことは世の中に一杯ある。

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