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災害列島(西日本大豪雨から顧みる)

2018年7月  西日本大豪雨

 そもそもの雨の降り始めは6月の末発生した台風7号からである。沖縄や九州に暴風雨をもたらし、死傷者を出した。台風の影響により太平洋高気圧が衰退し、梅雨前線が南下してきた。この時点で関東地方は梅雨明け宣言をしていた。さらに台風が運んだ湿暖気によって前線が活発になり、平成30年7月豪雨(気象庁はそう命名したが、一般的には西日本豪雨)が発生、平成最悪の被害をもたらした。

7月4日

 台風による雨は、九州・中国に、北海道で拡大した。台風が温帯性低気圧に変わり消滅した後、小笠原高気圧の衰退により、再び梅雨前線が日本列島に座り込む。

近畿・関西・等で大雨。線状降水帯が発生する。九州北部豪雨から丁度1年です。(福岡県朝倉市+大分県日田市中心に被害が拡がりました。) 

5日(木曜日)6日(金曜日)

曇り小雨の天気だが、八百津町の小学校・中学校は結局休校になる。鉄道網があちら、こちらで運転中止。多くの帰宅困難者が出る。

6日、気象庁が午前10時半、「大雨特別警報」を「発表する可能性がある」と異例の警告を行った。 午後5時10分以降大雨特別警報を8府県に出した。

国が「非常災害対策本部」を設置したのは8日(日曜日)午前8時だ。

西日本、特に中国地方では大災害の様相である。こんな暢気な感想を書いているのは、美濃地方は、07月08日(日曜日)  雨上がり、午後からは晴れだったからだ。  

 西日本大豪雨(九州から岐阜までを襲った。死者、安否不明者あわせて140名近い)

4日から8日の朝まで西日本では断続的に雨が降り続く。とはいうものの、この美濃地方は普通の雨でした。昨日7日(土曜日)の晩は八百津中学校3年A組の同級会(八中細野会)を例年通り開催した。欠席者無し。今朝は岐阜県全域に大雨警戒警報(記録的短時間大雨情報)が発令されている。「ひるがの」では4日の降り始めから1000ミリを超え、 死者・行方不明はどんどん増える。お昼で、死者73+安否不明63名になる。5時58分愛媛・高知に大雨特別警報

バックウォーター現象

広島倉敷市真備町は、高梁川と小田川に挟まれた地区である。後ろには山が控え、南と東は堤防に囲まれている。小田川は高梁川の支流である。本流の高まった水位が支流からの流れを堰き止める現症(バックウォーター(背水)現象が起きる。その為にい小田川が決壊し濁流が流れ込む。甚大な被害になる。しかも地形的に流れ込んだ濁流が流れていかない地形だった。120年前にも同規模の水害の記録あり。降水量は決して多くなかった。誰も堤防の決壊を予想していなかった。治山治水が良くなかった。 四国では先月末からの総降水量が1500ミリになった地域がある。

 

八百津町は、我が家のバケツ簡易アメダス(ダメダス)では250ミリ+α(4日から8日)結構降りましたが、豪雨でも大雨でもなかった。

隣の川辺町・七宗町・白川は被害があった。国道41号が通行止めになり、高山線も白川口から猪谷までの長い区間が運転中止となりました。岐阜市も浸水があり、長良川の堤防の門が閉められた。14年振りのことです。

日本という国は本当に災害列島ですね。

私のエクセルのクロニクルで「豪雨」で検索してみました。

 

1982年(昭和57年)  7月23日  長崎大水害

 梅雨の末期の大雨でした。愛知医科大学の泌尿器科教室の講師をしていました。看護学校の講義でこんな話をしました。寺田寅彦の名言「災害は忘れた頃にやってくる」を紹介して、「常に備えなければいけない」と話し、そして天気図を書いて梅雨前線の成り立ちや、梅雨の末期の大雨の仕組みを知ったかぶりで解説しました。「観天望気」と「天気図の読み方」を講義しました。この豪雨で1時間降水量の日本記録を更新した。187MMの降水だった。

 

註 

この時代はまだ、「観天望気」という言葉が生きていました。勿論、気象衛星ひまわりは運行していましたが、その情報は十分ではなかった。

 

2000年9月  東海豪雨

東海豪雨が愛知県名古屋市周辺を襲いました。新川に住んでいる弟の家も浸水しました。五条川が氾濫したのです。栄生の当たりも何日も床下浸水でした。

まだ、日本と北朝鮮が貿易をしていた時代です。この時期北朝鮮から「美味しくて香りのよりマツタケ」が輸入されていました。名古屋市場がダメになった煽り(お陰)で、可児の料亭で松茸料理が出ました。美味しかった。

 

2010年7月 

八百津・可児が線状降水帯による集中豪雨とそれによる土砂災害がありました。八百津で3名、可児で3名の死者。八百津町野上で山崩れがあり土砂で家が倒壊し3名の方がなくなる。道路向かいのタカサンの土地も土砂で埋まりました。菅総理が視察に来られ折には、私の土地に簡易テントを張り、菅総理の休息と視察事務所となりました。激甚災害に認定され、大補強工事がなされた。

 ファミリーセンターへ非難した人も多かったようだ。須賀の高橋の脇の家も倒壊した。道路が寸断されているところもある。御嵩でも浸水騒ぎがあった。可児が一番ひどかっただろうね。八百津で3人、可児で3名死亡・・・。

魚住先生、大野先生、森田から電話を貰いました。黒滝からも、楠美からも安否を気遣う電話が来ました。

 

2012年7月  九州北部豪雨

7月12から14日掛けて熊本を中心に降りました。

 

2014年 8月 四国豪雨

台風11号のもたらした大雨でした。

広島市では「まさ土」の土砂崩れ(というより地すべり)により家屋の倒壊、浸水被害が拡大した。犠牲者は74名に上った。1時間、3時間、24時間降水量の観測記録を更新した。

 

2017年7月  九州北部豪雨

7月6日

 昨日(5日)は福岡県と大分県で500ミリの雨(24時間) 福岡県朝倉市と大分の日田市。記録的短時間大雨警報が発令。

一昨日(4日)は 島根県です。梅雨前線の動きによって降る場所が移動する。

 死者も安否不明の方も結構ありました。が、八百津はどちらかといえば降水量は少ない。7月12日   一週間経っても収まらない。 「まさ土」土壌だったみたいですね。

深夜の統計で死者27名、行方不明20名です。大災害です。安倍首相はG20で外遊中でした。

14日  小牧・犬山で1時間に120ミリの大雨、五条川が氾濫する。犬山城の天守閣のシャチに落雷する。八百津は強い雨が1時間降った。水・木・金と降ったので水不足はなくなった。

 

これを忘れちゃいけないぜ!

 

1968年(昭和43年) 8月

 天心白菊の塔  飛騨川バス転落事故

1968年(昭和43年)8月の飛騨川バス転落事故の大雨のことを書いておきます。この事故が私達の記憶に鮮明に残っているのは、余りに雨が激しいので乗鞍観光を止めた。観光バス会社の大英断である。名古屋に引き返していた。それでも雨が激しくなる一方なので路肩にバスを止めて避難していた。雨宿りではないが、雨宿りをして難が去るのを待っていた。その避難しているバスに土砂崩れが直撃して100名余の犠牲者が出た。「天真白菊の塔」を建てて犠牲者を追悼した。そして全国の道路に雨量規制が始まった。私は大学に入学したその年の8月だった。帰省していた。車軸の雨とか、バケツをひっくり返したような雨とは文学上の表現に過ぎないと思っていたが本当にそんな雨だった。天が裂けたかと思った。

 

1983年(昭和58年) 7月

島根県を中心に7月豪雨    100名以上の死者・行方不明者

余り記憶が鮮明ではない。多分、弟の兼雄が名古屋市内千種区猫ケ洞通りで車を流された時の集中豪雨だと記憶する。用水路に落ちて溺死、或いはマンホールの蓋が吹き上げられて外れてしまい、その穴に落ちた事故などが多発。

 

1983年(昭和58年)9.28豪雨

台風10号のもたらした豪雨です。木曽川流域では観測史上最大の流量を記録し、荒れ狂った木曽川の水が丸山ダムの最上部を越して溢れ流れ始めた。下流に被害をもたらすかもしれないがこれ以上は耐えきれないとして水門を開けた。美濃加茂市、坂祝町で木曽川の堤防が決壊し大きな被害をもたらした。八百津でも港町で浸水があった。私は結婚した年である。翌日実家を見舞い、荒れ狂った洪水の爪痕を見てびっくりした。一廻りも、二廻りも大きな新丸山ダムの建設による洪水調節が検討される。

数え始めれば、切りが無い。

現実に戻って

「激甚災害」と共に「特定非常災害」

2018年(平成30年)7月13日

今回は平成では最悪の豪雨災害である。死者は200名を超える・安否不明者40名を超える。6月28日から8日までの総雨量は高知県の馬路村852MM、岐阜県郡上市ひるがので1214MM。大雨特別警報が11府県に発令された。

「激甚災害」指定と共に「特定非常災害」二も指定され、国が被災地の復旧・復興に全面的に支援することとなる。国の基本は「治山・治水」の訳ですから当然ですね。

4日から8日までの120時間の降水量(単位はミリメートル)

高知県の  魚梁瀬      1512

        繁藤       1123

      本山町      1010

岐阜県   関市板取      906

      樽見        839

岡山    倉敷        293

      矢掛           299

広島    広島         461

      呉         470

愛媛    宇和        543

      宇和島       384

       大洲       340

 

 

新たな疑問(ダム河川の災い)

肱川」の氾濫

愛媛県大洲市や西予市に甚大な被害をもたらした「肱川」の氾濫について、川の上流にあるダム(「野村ダム」と「鹿野川ダム」)について「下流域の被害は予想されていたが、想定外の雨量で、放流はやむをえなかった。」と説明しました。鹿野川ダムでは一時、安全な放流の基準の6倍に当たる毎秒およそ3700トンを放流した。

下流では急激に増水 周知方法に疑問の声も 「これは天災ではなく、人災だという住民も多い。行政にはきちんと検証をしてほしい」と話していました。

専門家「ダムは避難の時間稼ぐ施設」

「今回のような豪雨では、ダムだけで洪水を防ぐのは難しく、むしろダムは避難のための時間を稼ぐ施設だという認識を持つ必要がある。」

榎川が氾濫   7月10日(火曜日)   快晴(日付と天気に注目)

広島 府中町 榎川が氾濫 上流で土石流か

午前11時過ぎ、府中町を流れる榎川に掛かる寺山橋で、上流から流れてきた土砂や流木が川をせき止め、水があふれ出しました。

けが人の情報はありませんが、複数の住宅が水につかった。土石流が榎川の上流の砂防ダム(7ヶ所に設置)を乗り越えたのが確認されている。

 

長良川

長良川流域も結構沢山雨が降りました。総雨量が1000ミリを超えた「ひるがの」は分水嶺的には長良川ではなくて、日本海に注ぐ荘川の流域面積かもしれません。

8日未明には支流の津保川の氾濫もありました。長良川も氾濫による床下浸水の被害が岐阜市内でありました。河口堰はありますが、長良川にはダムはありません。

本当にダムが1箇所もない四万十川は今回どうだったのでしょうか。

 

註 

流域面積も吉野川に次ぎ第2位の、一級河川です。本流に大規模なダムが建設されていないことから「日本最後の清流」と呼ばれています。

2014年8月には増水により氾濫しています。

 

                                         平成30年07月14日       脱稿  

 

 

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