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 東日本大震災7周年 フクシマ桜植樹祭 その4

 

ふくしまさくら」   記念植樹   2回目

東日本大震災から満7年

 

久しぶりに、心の、体のもやもやが、不消化物がなくなりました。ちょっと元気になりました。

それはこんな事があったからです。

東日本大震災の7回目の記念日、追悼の日がやってくる。それまでに自分の頭の考えをまとめようと先月中旬から呻吟してきました。でも、全くまとまりません。

何かのエネルギーが私には不足していると感じ始めたのは今月、3月の始めのことである。

頭の中の堂々巡りの文章の辻褄合わせではない。自分で行動して新しい何かを、自分に今のタカさんに欠けている物を見つけ出して動こう。そう思ったのは昨日10日の夕方である。7年前の3月12日(土曜日)私は愛知医大の同門会「ヤザコ会」に出席するために名古屋に向かっていた。名鉄名古屋駅から国鉄名古屋駅の通路では「募金活動」が始まっていた。「東北地方太平洋沖地震救援募金」だった。私は、財布から義援金を出し、寒風の中で募金活動をする高校生に声を掛けた。「御苦労様」「被災を免れた私達に何が出来るのか!」「真っ先に募金活動を始めた君達は立派だね。」「元気づけましょう」「応援しましょう」

その時の自分の心に戻る事ですね。少しでも・・・。同門会で皆と愉しく話し、美味しくお酒を飲みながら、明日、日曜日の行動予定を決め始めていました。

 

註  1

東日本大震災の命名

豊北地方太平洋沖地震であり、東日本大震災である。つまり、地震の名称は東北地方太平洋沖地震です。災害は「東日本大震災」だそうです。

 

 3月11日 朝9時

我が家→八百津坂→久田見→福地に向けて出発する。

 福地の蔵橋の「いろどり村」で行われる

     「八百津町ふくしまサクラモリプロジェクト」

          やおつのまちに‘’フクシマさくら‘’を咲かせよう

に参加するのだ。

 

註  2

ふくしまサクラモリプロジェクト

東日本大震災による福島第一原発事故、その風評被害の払拭、及び被災地の復興の為始まった事業。収益は全て、福島を中心とした被災地復興のための支援と、新たな産業を生み出し永続的な事業として確立させること、さらには日本だけでなく世界へ 「復興=FUKKO」 という言葉を広めることを目的としている。

八百津町でもこの運動に共感した有志がプロジェクトを立ち上げ2年前から活動を始めている。

我が家の標高は130メートル、目指す見行山の標高は906メートルである。距離は15キロぐらいだろう。途中で沢山の方に会う。今井さん、大鋸さん、井戸さん、渡邉さんから声を掛けて貰う。息が切れる。脚がだるくなる。へとへとになっていろどり村に到着。見行山の頂に辿り着いたのは、1230分。北東の方向に向かい「黙祷」を捧げる。「もう7年」も経ったのだね。頂上では福地峠からの林道伝いに登ってきたという2人連れに合う。可児に転居された加藤紀夫妻にも会いました。下山をして、ライオンズクラブのメンバーと合流する。岩井L、白木L、大鋸L、浅田L、神谷L、林L、こうむらL一家、そしてこのプロジェクトの事実上の大将である佐々木L、丸山事務局、合計10名で応援に駆けつけた。女房の美尋さんも参加する。

1330分

植樹祭が始まる。山内会長の挨拶。そして、このサクラの植樹を紹介して下さった「田名網八千代さん」の挨拶もありました。合計50本のフクシマサクラを東部中学校の生徒さんと植樹しました。

2時頃から東部中学校の生徒さんの合唱があり、引き続いてバンド・グループ「一期一会」の皆さんの演奏がありました。会長は保健センター長の藤本さんです。

東日本大震災復興ソング「花は咲く」

坂本九「上を向いて歩こう」「

童謡 「ふるさと」

ビギン「笑顔のまんま」

皆で声を出して歌っていると、この7年間のことが想い出されてくる。震災のその日のこと、日本中の大パニック。石巻、南三陸町の巡礼旅。岩手の山田町の視察。陸前髙田の希望(奇跡)の松・・もう7年経ったのか、それともまだ7年なのかは人それぞれの思いだろうが、1つだけ確かなことは「この大震災」のことを決して忘れないことだ。「心の復興」に向けて、同じ日本列島に住む者として、心を寄せ合うことであろう。そんな思いを強くした。

 

 

註  3

田名網八千代

 株式会社 オフィスAMIの主催者

 竹下景子 風間トオル 林海象 などの活動を提携している

 NHKやTBSなどに面識が汎くあり、今回のこのプロジェクトを始めたNHKのプロデ ューサーとも親しく、八百津で花を咲かせることにご尽力頂いた。

八百津社会福祉協議会の元会長である後藤隆氏のご息女。

 

午後2時46分

参加者全員(約100名ぐらい)、藤本さんの号令で東日本大震災で亡くなられた22.081名の方のご冥福を祈って黙祷を捧げました。

地震の発生時刻に沢山の方と黙祷を捧げたのは初めてです。参加して良かった。

「甦れニッポン」

「津波(TSUNAMI)から復興(FUKKO)]

の同じ志の人達がこんなにいるのだと分かっただけでも愉しかった。

 

註 4

死者・行方不明者    18.434名

震災関連死               3.874名

合計          22.081名

                 3月11日 NHKの報道から引用

 

そして2時46分、藤本さんの号令で全員黙祷する。100名ぐらいの参加者である。

参加して良かった。同じ志の人達がこんなにいるのだと分かっただけでも愉しかった。

 それにつけても、佐々木Lの努力には頭が下がります。

「福地いろどり村」の村長を務め、「福地あかそばの会」を切り回し、そして「八百津町ふくしまサクラモリプロジェクト」の副会長として準備に走り回っている。それでいて建築屋さんとして仕事もし、お酒も飲む。ゴルフもする。本当の夢追い人だ。その骨身を惜しまない努力に頭が下がります。

 

帰路は勿論ライオンズクラブの丸山さんのエスティマに乗せて貰ってかえってきました。往復するだけの体力はありません。気力もありません。

                 脱稿    平成30年3月11日

                     東日本大震災から7年が経ちました  

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